第3次補正予算編成か

昨日から、第3次補正予算編成のニュースが流れて、今朝は具体的な予算規模まで推測されている。

昨夜のニュースで自民党下村博文政調会長定額給付金の追加に言及したとのニュースを見た。

29日に日本の未来を考える勉強会で 元内閣官房参与本田悦朗先生に来ていただきお話を聞いた。議員からの質問の中で、一律10万円を配布した定額給付金について、家計の預金が増えて消費に回っていないのではないかとの話があった。麻生太郎財務大臣もその話をされたとのニュースが流れた。

これに対して、別の議員からそんな事はないのではないか、との疑問の声も上がった。

私は会の終了後にこの議員と話をした。

私も彼も、多くの人が10万円は消費したとの話を聞き、貯金したとの話は聞かない。全く同じであった。

また、6月13日に箱根湯本へ一泊旅行した際は、若い家族連れや、若者の集団で高い宿泊代のホテルが満室であった話は、このブログへ書いた。

定額給付金を使ったであろうと推測した。

また、私のまわりでは電気製品を買ったという声も多かった、、

家計の消費がデータとして出るのは少し先になるそうだ。

家計預金が増えたデータは出ている。しかし、例えば消費すると個人商店やホテル旅館業の預金は増える。

誰かの消費は誰かの預金になることも、その原因なのではなかろうか。

数人の議員が同意見であった。

 

外交史料館訪問

28日(水)午前9時45分から外務省の飯倉公館と同じ敷地にある外交史料館を訪問し、深堀裕賢館長から説明を受けた。

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ここには幕末からこれまでの外交資料が保管されており、公開資料は誰でも閲覧したり、コピーしたりできる。

上の写真は大東亜戦争開戦前の外交電報です。

下の写真は幕末期の外交通信書
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下の2枚は日清戦争後の下関講和条約書です。f:id:nakanishi-satoshi:20201029094518j:image

下の写真の見慣れない文字は清王朝満洲族の文字です。
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下の写真は誰でも閲覧できるマイクロフィルムの閲覧パソコン。
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下の写真は別館入口にある、吉田茂元総理の銅像とその家族、実親の竹内綱、瀧子夫妻、養親の吉田健三、士子夫妻の写真と本人の子供時代の写真です。
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吉田茂元総理のご両親は私と同じ宿毛市の出身、それに配慮して館長が特別に吉田茂先生関連の資料を特別に展示して見せていただきました。

その中に平成15年9月に外務省が刊行した「外交史料館報」の中に「日本外交の過誤」(昭和26年4月作成、当時は極秘文書)という特集があり、当時の吉田茂総理が意見を書き込んだ物で、初めて見たのでコピーをいただいた。

これについては改めて書きます。

 

 

臨時国会開会

26日(月)第203回臨時国会が始まった。

午前10時から、常任・特別委員長の人事などで約15分開会、午後1時から天皇陛下をお迎えして参議院本会議場で開会式、コロナ感染症対策で、議場に入れるのは少人数、私達は控え室でテレビを見て参加。

政務官になると委員会の所属が大幅に減る。

私は今回常任会の外交防衛委員会、そして国家基本政策委員会の2つのみ、予算委員会と2つの特別委員会・調査会は外れた。

委員会では答弁する側に回る。

菅総理は、衆議院の所信表明に続いて、参議院では午後3時再開、約25分間の所信表明を聞いた。

会期は12月4日までの予定だ。

海上保安庁・無操縦者航空機視察

25日(日)午前8時、青森県八戸市にある海上自衛隊八戸基地を訪れ、同基地で実施されている海上保安庁の無操縦者航空機、シーガーディアン(MQ-9B)の飛行試験を視察した。

主催は自民党国防議員連盟、事務局長の佐藤正久参議院議員を責任者として、奥野信亮衆議院議員、堀井巌参議院議員、そして公明党の三浦信祐参議院議員と私の5名が参加した。

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この機体は米国のジェネラル・アトミクス社が制作・運用しており、試験飛行の様子は、すでに動画ニュースで流れている。

公開されているカタログデータによると、

全長11.7m、全幅24m、最大航続時間30時間以上、最大飛行速度210ノット(390Km)、飛行最高高度海抜1万2千m以上となっている。

日本では2度目の試験飛行ということで、性能、能力などについて説明を受けたが、その内容については

秘密事項なので書くことが出来ません。

想像以上の能力で驚いた。

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この機体は海上で運用する偵察機であり、有名なのは攻撃機型のMQ-9リーパである。

初期型がプレデター、中東地域での活躍はよくニュースで流れた。
        

ポーランドのシベリア孤児100周年記念レリーフ目録贈呈式に出席

23日(金)午前11時に「シベリア孤児100周年記念レリーフ目録贈呈式」に出席した。

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上の2枚の写真は祝辞を述べている所。

私の他に、日本・ポーランド友好議員連盟の幹事長である北村誠吾衆議院議員、事務局長の木原稔衆議院議員、福田会後援会長の安倍昭恵前総理夫人などが出席された。

場所は渋谷区広尾にある社会福祉法人福田会(ふくでんかい、太田孝昭理事長)、いただいた資料によると、福田会は1876年(明治9年)、今川貞山、杉浦穣、伊達自得の3名の発議により創立され、寺院を中心に日本で最初の児童養護施設の運営を開始した、とある。現在は児童養護施設「広尾フレンズ」や福祉型障害児入所施設「宮代学園」など6つの事業所を運営しているそうだ。

ポーランドは非常に親日的な国であるが、その要因の1つが1920年から7度にわたり、シベリアに残された765名のポーランド孤児(シベリア孤児)の救済に日本が協力した出来事である。

日本ではほとんど知られていないが、福井県敦賀港に上陸し、健康を回復した後で神戸港及び福井港から本国ポーランドを始め世界各地へと渡ったポーランド人達の逸話は書籍を通じてポーランドでも知られている。

私も最近になって知った。

福田会では、そのうち375名の孤児に宿舎を提供してお世話をしたそうだ。

お昼のお弁当を食べながらパヴェウ・ミレフスキーポーランド大使から話を聞いた。

この孤児達は、第一次世界大戦後の1920年(大正9年)ポーランドは占領され、当時の支配階級は家族共々シベリアへ送られた。その時の孤児達であり、本来は国の中枢を担う立場にあった人達であるとのことであった。

下の写真はその当時の福田会の庭で写した孤児達の写真で、この写真を元にして、徳島県大塚製薬の関連会社である大塚オーミ陶業(株)が陶板レリーフを作成し、それを福田会のビルの壁面に飾るとの事、出来上がりは2m×4mの大きさになるとの事です。

同じ場所で我々も記念撮影をしました。

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ジャーナリストの井上和彦氏が参加しており、井上氏は、シベリア出兵の歴史を調べていてポーランドのシベリア孤児のことを知った。
世界一親日的な国であり、自分の本やテレビ番組でその旨を述べていると挨拶された。

なお、首都のワルシャワでは日本祭りなどで、桜舞ポーランドという団体が、高知のよさこい踊りを披露しているそうです。

 

 

 

ナカムラ元パラオ大統領の弔問記帳

23日(金)午前10:25、パラオ大使館に今月14日に亡くなったナカムラ元パラオ大統領の弔問記帳に出向き、政府を代表してマツタロウ大使に追悼の挨拶をした。

マツタロウというのは、尊敬していた日本人の名をつけたものだそうで、結構あるそうだ。

フルネームはフランシス・マリウル・マツタロウだ。

ナカムラ元大統領は76歳、父上が三重県のご出身、三重県で船大工をやっていたそうで、たびたび日本にも足を運んでいる。

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(写真は記帳の様子、写真がクニオ・ナカムラ元大統領)

私がパラオに興味を持っているのが、昭和19年9月から約2ヶ月以上にわたり激戦を繰り広げたペリリュー島の攻防戦であった。

その戦いは何度かこのブログでも書いたので今回は省略するが、一度はペリリュー島を慰霊に訪れたいと熱望している。

パラオは1914年から45年の間、日本の占領地又は委任統治領であり、人口の約2割が日系人である。

多くの日系人の活躍(レメンゲサウ大統領等)もあり、一定の親日層が存在するが、日本語を話す世代は高齢化してきている。

日本との交流は観光(ダイビング)と漁業で、沖縄県の漁船が約35隻登録してカツオ、マグロの漁を行っている。

また、数少ない台湾承認国の一つである。

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政府を代表してマツタロウ大使に弔意を述べた。

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マツタロウ駐日パラオ共和国大使と記念撮影、後ろの青い旗がパラオの国旗、青地に黄色の日の丸で、日本国旗を真似たデザインだ。

第43回フィリピン戦域戦没者慰霊祭に出席

17日(土)午後1時から高知県護国神社の記念碑前で、第43回フィリピン戦域戦没者慰霊祭が開かれたので出席した。

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毎年10月の第3土曜日は、高知県フィリピン戦域戦没者遺族会の主催による慰霊祭が行われる。

今年はコロナウィルス感染症の影響で、慰霊祭も中止になる所もある中、フィリピン会では戦後75年の節目にあたるので開催したとの事でした。

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フィリピン戦域での高知県戦没者は4千9百余柱、あいにくの雨の中120名ほどのご遺族の方々が出席しました。(私の秘書が数えました。)

会の中心は遺児とお孫さんです。