東日本大震災から9年

東日本大震災から9年経った11日、国会でも犠牲者と被災者の皆様に何度か黙祷を行った。予算委員会では午後2時46分、質疑を中断して黙祷した。

9年前の平成23年3月、私は県議会開催中であったが委員会を中断してテレビの前で、津波にのまれる東北地方の映像を信じられない思いで見た。

その後4年間で7回、岩手県宮城県の被災地を訪れた。

高知県は近いうちに南海トラフ巨大地震に襲われると言われている為、その対策を考える為であった。

私の故郷宿毛市も、江戸時代に何度か津波にのまれて壊滅した記録が残っている。

数日前のテレビで、津波で自宅がやられ、二階で妻と息子夫婦、小学5年生の孫娘が亡くなった岩手県の男性の9年間が特集された番組を見た。(追記:後日関連番組があり、この男性が釜石市の鈴木堅一さんで、お孫さんは理子さんである事を知った。)

本人は消防団の一員として、津波避難の任務で自宅を離れていた時に津波に襲われたという。

二階の部屋で息子さんが三人を抱き抱えた姿で息絶えていたという。ご遺体があっただけでもよかったのかどうか。

近いうちに同じ場所に自宅を再建する決心をしたのだと紹介されていた。一人で住むには広すぎる家を再建するが、亡くなった4人が帰る家を建てる事が悲願だと語った。

男性が地元の成人式のテレビを見ながら、孫娘の同級生の成人式だ、孫娘はいつまで経っても小学5年生だと、孫娘の写真を見ながら語った。

私がこの男性の立場であったら、9年間をどう生きただろうかという思いでテレビを見た。