議会運営委員会の県外調査活動

8日(月)午前8時50分高知空港発の全日空便で大阪伊丹空港経由で、11時40分岩手県花巻空港着、予定より大分早く着いた。

調査先は岩手県議会、調査項目は南海地震が発災した際の県議の行動について、行動マニュアルを作ることも含めて、被災した岩手県宮城県の実情を調査する為に訪れた。
午後2時から盛岡市岩手県庁で岩手県議会事務局の説明を聞いた。現在でも職員が足りない、高知県から3名の方に応援に来て頂いているが大変ありがたいとの事であった。
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(写真手前が我々、向こう側が岩手県)
3時過ぎから岩手県議会議会運営委員長の嵯峨壱朗議員と岩崎友一議員にも入ってもらって話を聞いた。
嵯峨委員長は北部の久慈市の出身、岩崎議員は大きな被害を受けた大槌町の出身で、現在36歳、津波で実家は壊滅、母上が未だに行方不明との事である。
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(写真左が嵯峨議員、右が岩崎議員)
私は、岩崎議員に発災当初の状況を質問した。
岩手県では大槌町陸前高田市が一番被害が大きく、大槌町長は津波で死亡、役場職員も死者行方不明者が多い。
発災当日は県議会開会中で、最終日の1日前であったそうだ。発災後、お二人とも道路が切断されて地元へ帰ることが出来ず、議員会館に泊まったそうである。
岩崎議員の話では、ずっとテレビを見ていたが、地元の大槌町陸前高田市の状況だけが全く不明であった。
翌朝、車で地元へ向かったのだが、警察官に何度も止められた。しかし、最後は喧嘩腰で交渉して大槌町の避難所に辿り着くことが出来た。
当初は町長、副町長、教育長が行方不明で、町役場として情報収集が全くできる状況ではなく、仕方なく岩崎議員が避難所にいた知り合い十数名に頼んで情報収集を開始した。その時に自分の母親が行方不明であることを知った。
大槌町では副町長が無事であることが分かり、高台にあった中央公民館を臨時役場として、副町長をトップとして対応が出来始めたのが被災して4日後くらいからであった。
初めは避難所が何箇所あるか確認する作業から始まった。自衛隊、警察、消防の人達が歩いて情報を集めてくれた。
携帯電話が全く通じず、通信手段が無いのが一番困った。その後、自衛隊の無線電話を借りて通信を行った。
その後、各避難所に届いた避難物資が偏っていて、中々欲しい物資を配給することが出来なかった。
嵯峨議員の話では、棺桶探し、火葬場探しに苦労したとの事であった。
最後に、岩崎議員が話された、岩手県では今も行方不明者が約1100名おり、今でも肉親を亡くしたショックから立ち直れていない方が沢山いる。
被災者を回っていると、あの時自分も死んでいればよかったとの話を聞くのがつらい。
高知県で今後防災対策を進めて行く上で、まず人命救助を考えて対策を立てて頂きたい。