佐藤塾の空手道大会

23日(土)午前9時から、東京武道館でPOINT&K.O 第34回国際空手道選手権大会が開催されたので出席した。

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久しぶりに佐藤勝昭宗師と記念撮影。

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フルコンタクト空手」誌の水口記者(中大少林寺拳法部の私の後輩)の配慮で記念撮影、中央は大会会長の猪谷千春氏、オリンピックのIOC名誉委員でスキー選手であった。右手が佐藤勝昭宗師、右端は私、左が佐藤塾の筒井正明先生、佐藤宗師の盟友で大会評議委員長で元明治学院大学教授、左端は新極真会宮城支部長の金田和美氏、佐藤宗師が極真会館時代からお付き合いされている師範だ。

私は26歳の時に佐藤勝昭塾長と出会い、36歳までは東京で、仕事をしながら選手、文京道場の道場長として指導を受け、この大会も第1回大会には選手として出場した。

高知に帰ってからも支部長として、47歳で県議会議員になるまでは、毎日空手の稽古を続けた。

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上の写真は開会式での祝辞

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上の写真はルール説明、予選は8コートを使って行われた。
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 小学1年生から6年生までは男女別で約270名、中学生約80名と高校生は軽量級と無差別級のそれぞれ男女別42名、一般男子は32名が、一般女子は9名が参加した。

多くの流派から参加者の多い大会だ。

開会式で、一般男子の昨年の優勝者、デンマークフレデリック・ゲイト選手から優勝旗返還があった。205センチ、97キロの大型選手だ。

高校生までは防具を付けている。

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海外からはデンマーク、イラン、ベルギー、ニュージーランド、オーストラリア、アルジェリアラトビアトリニダード・トバゴなどの選手が参加している。

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上の2枚の写真は優勝候補の佐藤徳昭選手、183センチ、98キロ、佐藤勝昭宗師の息子さんだ。
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右手のラトビアから来たヨルギス選手も四国の如水会館の選手で、四国の大会で優勝しており、今回も優勝候補の一角であったが、1回戦で極真会館高木道場の三上選手に敗れた。

三上選手は佐藤徳昭選手に3回戦で敗れたが、素晴らしい選手だ。

今日は高知へ県議会議員の選挙応援に帰らねばならないので、昼までしか観戦できないのが残念だ。

県議選の応援

21日(木)  高知市自民党県議の後援会集会があり出席した。

この日は祭日で、羽田発高知行きの飛行機では、山本有二衆議院議員高野光二郎参議院議員と一緒になった。

参議院同期で同い年の宮島喜文さんも一緒だったそうだが気がつかなかった。

宮島さんは臨床検査技師会の会長で、上田貢太郎県議が高知県の顧問を務めている関係で、数年前にも高知市の会に出席した事があると話していた。

午後1時から三翠園ホテルで、上田こうたろう県会議員が2期目への挑戦の集会(下の写真)、中谷元山本有二衆議院議員、中西祐介、高野光二郎宮島喜文参議院議員と私と6名の国会議員が参加した。

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午後2時からは、近くの新阪急ホテルで桑名りゅうご県会議員が4期目の挑戦の集会、こちらも中谷、山本、中西祐介、高野、私と5名の国会議員が参加した。
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私は桑名さんとは、彼の義兄である中谷元衆議院議員の秘書をやっていた頃からの知り合いだ。

桑名さんは剣道7段、私は剣道の経験はないが、剣道を見るのが好きで、桑名さんの稽古場である高知警察署や南国警察署の道場へ見学に行き、稽古終了後に警察官達と懇親会をやった思い出がある。

また、県議時代は2人で県議会選出の県の監査委員を務めた事があり、桑名県議は県政全般に幅広い知識を持っている。

早い時期に県連政調会長を務め、私が県連幹事長を3年務めた後は、桑名県議が幹事長を3年間務め、自民党高知県議会の要となる議員だ。

政治センスがあり、人の和を大切にする政治家だ。
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中谷元衆議院議員は義兄ゆえ、この会でもすべて控えめ。

上の写真の竹村、平田両高知市議が音頭をとった鬨の声でも右端に立っていた。

午後4時30分高知空港発の便を待つ間、空港のレストラン「司」で昼夜兼用の食事をとっていたら、宮島さんが入ってきて、2人で一杯やり、この日は参議院議員宿舎までずーと一緒であった。

質問の予定が飛んだ

20日(水) 午前10時から参議院外交防衛委員会で質問に立つ予定で、39分間の時間が与えられていた。

9時45分から理事会、部屋へ入ろうとしたら防衛省職員が「大臣が急病でご迷惑ををおかけします」と言った。

岩屋防衛大臣が急病かと思っていたら、大臣が委員会室に入って行った。

理事会が始まって説明を聞くと、河野外務大臣が急病で欠席との事。

今日は予算委員会から委嘱を受けた平成31年度予算の審査、冒頭、河野外務大臣、岩屋防衛大臣から予算の説明を受ける予定だった。

野党が反発、与野党国対委員長予算委員会の筆頭理事同士が話しあった結果、本日の委員会は流会。

委員会は22日に開かれる事になったが、この日は予算委員会も開かれる。

始めに予算委員会で改めて外務省、防衛省の予算案を外交防衛委員会に委嘱した上で、外交防衛委員会が開かれるが、時間を短縮する必要が生じた為、与党の質問時間は削る事にした。

私の質問は後日改めてという事になる、残念!

22日の予算委員会は午後1時に再会し、午後7時過ぎまでかかる予定であるとの連絡を受けた。

今日は高知日帰りで県議選の応援に行く。

 

麻生節

18日(月)の参議院予算委員会で麻生大臣が、薬師寺みちよ議員に対する答弁の中で、国民健康保険の普及で日本人の平均寿命が伸びたことに言及し、「私の生まれた頃の平均年齢は47歳だかで、この辺はもう終わっている」と、左手を議員席を含めて回しながら話された。「かろうじて残ってます」とヤジで答えた40代半ばの議員もいたが、これには議員席は大爆笑。

以前も同じように平均年齢の話をした事があった。本当にユーモアのある大臣だ。

厚生省が統計を取り始めた1947年は男性50.06歳、女性53.96歳だったので、麻生大臣の生まれた昭和15年はそのくらいだったのであろう。

厚労省が公開した「平成29年簡易生命表」によれば、日本人の「平均寿命」が過去最高を更新して、男性は「81.09歳」、女性は「87.26歳」となったそうである。

高知県議会議員を応援

参議院予算委員会では来年度予算案の審議が続いている。

予算委員会室の椅子も、本会議場の椅子も私にとっては少し小さい。

朝の9時から8〜9時間座るとかなり身体に応える。同様の感想を述べる委員さんが多い。

15日の予算委員会終了後、羽田空港へ、高知空港着の最終便に何とか間に合い、午後9時に高知へ帰り、空港近くのホテルに泊まった。

今月の29日から統一地方選挙が始まる、高知県議会議員選挙だ。

今日16日は朝から、空港の近くの南国市選出の自民党県議を訪問した。

朝一番に訪問した坂本孝之県議は、支援者の皆さんへの挨拶へ出かける寸前でお会いできた。

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南国市選出のもう1人の田中とおる県議は出かけていて、奥様と可愛い娘さんが事務所におられた。

次に行った高知市自民党の現職が4人、桑名龍吾県議、上田孝太郎県議、三石文隆県議は出かけていたが、土居ひさし県議は出かける直前に駐車場で挨拶出来た。

私の元秘書で再選を目指している西内たかずみさんは出かける寸前だったが話をする事が出来た。(下の写真)
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土佐市選出で4期県議を務めた森田英二さんは私の県議会の同期だ、前回は惜敗し再選を目指す、本人は不在であったが後援会の皆さんに挨拶出来た。

四万十市は、3回目の県議会議長を務める土森正典県議の息子さんである正一さんが後継で出馬予定だ。

昼休みに事務所に戻っていて話をする事が出来た。正一さんは肥満体であったが、挨拶回りで歩くので体重が15キロ減ったと話していた。

私も選挙のたびに体重が6〜7キロ減った。

(下の写真)
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土佐清水市からは前土佐清水市市議の田中こうしろうさんが出馬予定で、この日は泥谷(ひじや)土佐清水市長と後援会活動に出かけているとの事で、後援会事務所にはいなかったが、下川口地区の県道沿いで2人で街頭演説をしているのに出会った。

私の地元宿毛・大月・三原選挙区は加藤漠県議、今城誠司県議が出馬予定だ。本人には会えなかったが、後援者の皆さんと話が出来た。

決戦の日は近い、全員の勝利を目指す。

 

北方領土返還交渉について

昨日12日の夕方、私の所属している石破派の勉強会があり、新潟県立大学政策研究センターの袴田茂樹教授を講師として「激動する国際情勢と我が国の対露政策」と題して、安倍総理が進めている北方領土返還交渉の勉強会があった。

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(上の写真は会の終了後に先生と記念撮影)

私は袴田茂樹先生が昨年11月19日に、産経新聞の正論欄に発表された「東京宣言の方針転換は"敗北"だ」という論文を高く評価して、何度も読み返し、切り抜きを持ち歩いている。

今回の勉強会もその論文の趣旨に、その後の動向を加えた講演を1時間にわたり拝聴した。

配布されたレジュメに記載された要旨は以下の通りである。

1、北方領土問題の本質

ここで印象的だったのは、2012年7月3日にメドベージェフ首相が国後島を訪問し「島は絶対にわずかでも渡さない」と公式に発言した。

その後玄葉外相がロシアを訪問した際に、大統領に秋田犬を贈呈し、国後島訪問に対する抗議をしなかった。

それが韓国に「日本の固有の領土と主張している北方領土を訪問しても抗議をしない国だ」との誤った印象を与え、8月10日の李明博大統領の竹島訪問に繋がったとの見方であった。

2、56年宣言と東京宣言

1956年「日ソ共同宣言」「平和条約締結後に歯舞群島色丹島を引き渡す」

1993年「東京宣言」「四島の帰属問題を解決して平和条約を締結する」

3、プーチン大統領の対日姿勢の変化と歴史の修正

2005年9月歴史を修正「第2次大戦の結果四島はロシア領となった。国際的にも承認されている」

4、近年の日露交渉

 

講演の中で、プーチン大統領、ラブロフ外相などロシアの政治家の発言を分析すると、返還は非常に難しいと思う。プーチンとラブロフの発言は同趣旨で連携している。

日本のマスコミはあたかも2島先行論を進めると、歯舞諸島色丹島の2島が返ってきて、国後島択捉島の返還も次の課題となるかのような楽観論が多いがそれは間違いである。

今月の月刊誌「軍事研究4月号」にも、軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏が同様な見解の記事を載せている。

私も今回の交渉で北方領土が返還される可能性は非常に低いと考えている。

参議院外交防衛委員会で、野党議員の「北方領土は日本固有の領土か」との質問に対して、河野太郎外務大臣は「領土交渉に影響があるのでお答え出来ません」との答弁を繰り返しているので、質問しても意味がない。

安倍総理は「日本は固有の領土であると主張し、ロシアは第二次大戦でロシアの領土となったと繰り返している。これでは返還交渉は前に進まない、そこでいったんお互いの主張を控えて交渉をし直す」と発言されている。その気持ちも理解できる。

しかし、私は領土交渉は一歩も譲らないとの決意で臨むべきだと考える。

安倍総理がどうして返還交渉にのめり込むのか理解出来ない。

長い時間をかけて交渉を続けて行くべきだと思う。

東日本大震災から8年

被災地の岩手県宮城県を最初に視察したのが、その年の7月だった。

西森潮三県議から話があり、仙台に支店のあった高知市の建設会社、大旺新洋(株)の尾崎社長の案内で2日間にわたり、岩手県宮城県津波被災地を車で回った。その様子はこのブログに書いた。

石巻市、女川町、南三陸町陸前高田市など、想像を絶する被災地の状況に言葉もなかった。

この状況は、数年後に私の故郷高知県宿毛市の海岸部も同様な姿になると確実に思った。

私の故郷宿毛市小筑紫町大海は、背後に山が迫り海に面した戸数120軒ほどの漁村だ、被災地の中には同じような地形の漁村がいくつかあった。

そこは津波に襲われ、家の土台以外何も残っていなかった。

それから公務、政務合わせて7度被災地を訪ねた。

江戸時代末期の嘉永地震津波では、宿毛市に残っている古文書に「海岸部は亡所」と記述がある。

海岸部の大島地区の神社の階段に、ここまで津波が来たとの石碑が立っている。海抜9メートルの津波が来たことがわかる。

次の南海トラフ地震は確実に来ると予想されている、その時には嘉永津波と同じか、それ以上の津波が来る。

死者・行方不明者はもちろん、被害を少しでも減少させるのが政治家の務めだと思っている。

視察した被災地の何ヶ所かで言われた。「警察、消防、役所は高台に移転して下さい。救助活動や復興支援をするにあたり、拠点がなければ進まない。」

この言葉を肝に命じ、県内各地でこの話をしてきた。

昨年、宿毛市の中平富宏市長の決断で、議会の同意を得て宿毛市役所を高台に移転することが決まった。

素晴らしい決断だと思う。

庁舎のある市内中心部の住民から反対の声が上がった、それもわかる。

しかし、昨年の西日本豪雨の際にもこの庁舎は周りの道路が浸水して入ることが出来なかった。

まして、津波の際には全壊に近い状態になることが予想されている。これを放置することは、発災時には行政が怠慢だったとの非難の声が上がるであろう。

中平富宏市長はよく決断したと評価する。

市庁舎の移転前に南海トラフ地震が来ない事を祈っている。

数日前のテレビ番組で岩手県宮城県津波被災地で、工場や会社の再建に取り組んだが失敗した経営者のインタビュー番組を見た。

被災者が元の故郷に戻っていない状況では難しいであろう。

何より私が注目したのは、1人の方は津波で息子さんが亡くなられ、それから三ヶ月後に奥さんが癌で亡くなられていた。

もう1人の方は顔も周りの風景もボヤかしていたが、三つの位牌があった。

1人の方は、工場再建に打ち込まなければ精神的に持たなかったと話しておられた。

被災後のテレビ報道で、家族5人を亡くされた方、3人を亡くされた方の話を聞いた。いずれも残されたのは60代後半の男性であった。

先日のテレビ報道も含めて、一度に複数の家族を亡くされた方の心の中はいかばかりか。

私はいつも思う、自分がその立場になった時、自分は精神の均衡を保てるのかと。

何回目かに被災地を訪れた時に、教育委員会で被災した子供達の心のケアの話を聞いた。

中には家族全員が亡くなり、たった1人残された子供もいると聞いた。この子達の心を開くには何年もかかると聞いた。

地震津波だけでなく、日本各地で災害が続発している、国も国土強靭化に積極的に取り組んでいる。

私は被害を最小限にとどめる事に全力を尽くす所存です。