宿毛市で震度6弱の地震、震源地は宇和島市の北

4月17日午後11時14分ごろ、愛媛県宇和島市の北部沖を震源地とするマグニチュード6.6の強い地震があり、愛媛県愛南町と私の住んでいる高知県宿毛市震度6弱を記録した。

私は前日の16日から、顧問を務める「責任ある積極財政を推進する議員連盟」の勉強会へ出席するため上京していた。

地震が起きた時、私は東京のホテルで就寝中だったが、友人からの地震を心配するメールの着信音で目覚め、すぐに宿毛の自宅にいる女房に電話した。

女房の話では「相当揺れたが無事だ、一階の居間の食器棚からグラスや皿が落ちて割れたようだ、明日の朝確認する」ということであった。

今日(18日)午後5時30分頃帰宅して、女房に話を聞き、家の様子を見て確認し、すぐに車で5分ほどの高台にある住宅地に一昨年建てたプレハブ事務所を点検に行ったが、ここも多少本棚から写真立てなどが落ちていたが、本棚が倒れたりはしていなかった。

自宅に戻り、女房から近所の話を聞き、また知り合いの市会議員の東さんが、高知市内へ着いた午後1時45分頃に電話をくれて、宿毛市内の様子を話してくれていたので、彼に再度電話して話を聞いた。

東市議は市内各地区を車で回っていて、市内中心部の一部(本町、萩原、与市明)に建物被害が出ているが、その他の地区は大丈夫だとの話を聞いた。

私の自宅は市内中心部にあり、数十メートル離れた本町通りの商店、住宅、スナックなどは家の中で家具や食器棚などが倒れて足の踏み場も無いような状態がテレビニュースで流れていた。

また、屋根瓦が落ちたり、建物の壁がひび割れたり、一部崩壊したりしているニュースも流れていた。

この地域では、1968年(昭和43年)4月1日午前9時42分頃、日向灘震源とするマグニチュード7.5の日向灘地震が発生し、宿毛市と宮崎県延岡市で震度5を観測した。(この当時は強と弱の区別はなかった)

この時には、地震に伴って津波が発生し、四国では高さ3m以上に達した地点もあった。

私は、この時は高知高校の修学旅行で県外から高知へ帰る途中であったので地震は経験していなかったが、この年の7月の夜中にも同規模の地震があり、この時は祖父の一周忌で家族、親戚が同じ家に寝ていたが、海沿いの漁村にある実家がバリバリと轟音を立てて揺れ続け、全員で外へ飛び出して本当に怖い思いをした事を今でも鮮明に覚えている。

また、地震が収まってすぐに、一緒に泊まっていた市役所職員であった叔父が、家の前の岸壁で津波の有無を調べていた事も覚えている。

幸いにもこの時の津波は1メートル未満で、満潮でなかった為か浸水被害はなかった。

また日向灘地震は昭和44年(M6.5)、45年(M⒍7)と連続して起きたが、それ以後も何度かM7前後、震度5程度の地震が起きている。

今回の地震は、1968年の日向灘地震とは違って海沿いの陸地が震源地なので、海底の隆起などが起きなかった為に津波が発生しなかったのだろうか、これは不幸中の幸いであった。

それでも一部の市民は津波が来ると予想して高台に避難したそうだ。

昨年から日向灘周辺では、大分県と宮崎県、愛媛県の沿岸部で震度1から5程度の地震が頻発していた。

これが沖合で起きると津波が来る可能性が高い。

その為、10数年前に、将来発生するであろうと推測される南海トラフ地震震源地に、それまでの伊豆沖から室戸沖の予想震源地に日向灘も加えられた。

今の日本は何処で大地震が起きても不思議ではない。

自分の身は自分で守る!各自が備えるしかない。

このブログを書いているたった今も(23時47分頃)余震があった、震度は2ないし3であろう。