津波被害を受けた校舎の調査

9日(月)午前8時45分、釜石駅近くのトヨタレンタカーで車を借り、駅近くの釜石市教育センターへ行った。
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9時の約束だったが早く着いたのでロビーで待っていると、釜石市議会事務局の佐野さんが早めに来てくれた。
今日は風が強く特に寒いと言う。そういえばホテルから乗ったタクシーの運転手さんも、強風で三陸鉄道が止まりタクシーの要請が来たと言っていた。
2階の教育委員会会議室へ上る、釜石市教育委員会の村井大司課長が説明してくれた。
釜石市には小学校が9校、中学校が5校あるが、そのうち小学校と中学校が2校ずつ津波被害にあった。
その他の学校は高台にあったので津波の被害を免れた。
鵜住居(うのすまい)小学校と唐丹(とうに)小学校は、3階建てであったが津波で全没し全壊判定を受けた。
釜石東中学校は4階建てであったが3階まで水没し全壊判定を受けた。
また、唐丹中学校は昭和30年代に建設された4階建てであったが地震で全壊した。
全壊判定を受けた2つの小学校は、被災した後は分割授業となるので生徒にとっては良い事ではないと思う。
また高台にあったために津波被害を受けなかったその他の学校の校舎は、住民の被災直後の避難所となった。
小中学校の建設においてはその点も考慮すべきだと思う。
現在それぞれの学校は平成29年4月の完成を目指して高台に建設中である。
9時25分、釜石市教育センターをレンタカーで出発、カーナビを信頼したのが大間違い、どうも方向が違うので確認したら内陸に入って東北自動車道を走るコースをナビしていた、30分ロスした。カーナビを切って海岸沿いを南に走る。
復旧工事の、ダンプカーが多い。
釜石市の南隣りの大船渡市辺りは所々高速道路が開通していたが、ほとんどは工事中だ。
岩手県の最南部、陸前高田市は大規模な人工高台へと嵩上げ工事が進んでいた。
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元の地面から7〜8メートルはあるだろう。
写真が分かりにくいがパイプは土砂を運ぶ物のようだ、その下の土盛りが見えるでしょうか。
昨夜のニュースで、陸前高田市の市長選挙があり、現職の戸羽太氏が再選されたとの報道があった。
陸前高田市の南は宮城県気仙沼市、ここらは内陸部に無料高速道路が完成しており被災地は通らなかった。
南三陸町では被災地を走ったが、改めて被災されて亡くなられた皆様のご冥福をお祈りした。。
所々雪が舞い、土地勘のない道路を走るのは疲れたが、午後1時に石巻市トヨタレンタカーの支社に無事着いた。
ここから石巻市の駅前にある市役所までレンタカーで送ってくれた。
石巻市役所は駅前のデパートを改装した建物だ。震災の前に移転していたという。
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ここでは石巻市議会事務局の門間泰則事務局長、吉田主査、市教育委員会の末永秀夫総務課長、横山主査が説明してくれた。
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(上の写真で立っているのが末永課長、その右が門間事務局長)
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石巻市津波被災した小学校は次に記載した10校、その内7校は全壊判定された。( )内は津波の高さ、
門脇小(1階床上2m)、湊小(1階天井)、湊第ニ小(1階天井)、渡波小(犬走りから1.7m)、大川小(2階屋根、体育館流出)、雄勝小(2階屋上、体育館流出)、船越小(3階床上)、相川小(水没、体育館流出)、吉浜小(水没)、谷川小(2階屋上、体育館流出)、
また、中学校は下記の4校で1校は全壊判定を受けた。
湊中(1階天井)、渡波中(2階床上)、大川中(1階床上1.5m)、雄勝中(3階天井、体育館流出)
その内現地再開は小学校2校(湊小学校、渡波小)と中学校が湊中1校、他校と統合が1校、これらの学校は何れも津波が1階まで来た。
被災校のうち、門脇小は石巻小へ統合、湊第ニ小は湊小へ統合、船越小は雄勝小へ統合、相川小、吉浜小、橋浦小の3校は統合、谷川小は大原小へ統合される。
また、中学校では大川中が河北中へ統合される。統合は人口減が原因だ。
それ以外の学校はいずれも高台へ移転新築するが、その判断は地域住民の意見を聞いて判断したそうである。
石巻市も何度も訪れ、被災した年の7月に来た時に見た雄勝中、雄勝小は強烈な印象が残っていた。
下の写真がその時、7月13日に私が撮った雄勝中学校の写真だ、三階まで水没した跡があった。近くの公民館の二階の屋根の上には大型観光バスが乗ったままであった。
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また大川小学校も以前訪れたが、多くの犠牲者が出た事であまりにも有名になった。
今回の調査で、詳しい説明を受け、あらためて被災直後の写真も見せて頂いたが、津波被害を受ける可能性のある場所に保育園、幼稚園、小中学校を作るべきではなく、また、被災想定地域にある学校は速やかに移転するべきだとあらためて思った。