INAP(国際友好提携港)2011コロンボ会議 その2

24日(水)午前9時より宿泊先のシナモン・レイクサイドホテル内で総会、参加国(中国青島は欠席)の意見交換会である。日本側通訳は港湾振興課の藤村里奈さん、発言は知事のみ。
10:30よりINAPの開会式 、副大臣の到着が遅れた。
主催国スリランカ代表の挨拶の後、尾崎知事が英語で挨拶した、尾崎知事は財務省時代に外務省に出向し、インドネシア大使館に3年間勤務した経験があり英語も話せる。
今回は原稿を読んだが、堂々たるものだ。

12:45 スリランカ日本大使館を訪問した。
行く道中から眺めるコロンボの町並みは、インドのムンバイに比べて綺麗である。日本と比べれば落ちるが、インドを見た後は綺麗に感ずる。
大使館で高橋邦夫特命全権大使、嶋崎郁(カオル)公使の出迎えを受ける。
嶋崎公使は空港へも出迎えてくれた、尾崎知事がインドネシア日本大使館に勤務していた時の上司だそうだ。
大使館に四万十市出身の菊池さんという女性が来ていた、青年海外協力隊の一員として来ているという。
大使館では意見交換の後、日本食の昼食をご馳走になった。
スリランカは2009年5月に「タミルの赤い虎」との内戦が26年ぶりに終結したが、人口2,130万人の国に未だ30万人の軍隊がいる。
日本の自衛隊員は23万6千人、人口の割に少ないが、スリランカでは内戦が終結した現在この軍人達の処遇が今後問題となるとの話であった。
また、スリランカは、大東亜戦争当時は英国の植民地であり英国海軍の基地がコロンボなどにあったため、昭和17年(1942年)4月5日、日本海軍の南雲機動部隊によってコロンボが空襲を受け、同時にコロンボ沖で英国巡洋艦コーンウォールとドーセットシャーの2隻が撃沈された。また、4月8日には英海軍正規空母ハーミーズコロンボ沖で撃沈された。
このような経緯があったが、サンフランシスコ講和条約において、セイロン(当時のスリランカの国名)は対日賠償請求権を放棄し、それ以来日本に対しては非常に友好的な国であるとのことだ。
ところが現在スリランカには中国が、対インド戦略から肩入れをしており、政府は中国シフトに傾いているとのことである。
中国にとっては、対インド戦略として将来の軍事基地化を視野にいれてこの国を押さえる事は非常に重要である。
もっとも、元借款の利率は年利6パーセントというものがあり、決して大盤振る舞いと言うわけではないようだ。
この間、親日的なこの国対して我が国は何の戦略も持たず、外交はなかったも同然である。
ミャンマーに対する態度と同じで、外交オンチを実践している。
また、スリランカの労働者の平均年収は約2,400ドル(192,000円)、インドよりだいぶ多いとのことである。
この会議に参加してみて疑問が解けた。
疑問は、高知新港は他の港に対して規模が極端に小さいので、他の参加国と交流する意味がどこにあるかという点であった。
INAPが、そもそも高知新港の開港記念の際にスリランカの首相だか、大統領だかがこの会議結成を提案した経緯があったことは承知していた。
今回参加してみて、INAP会議のおかげで、高知県が参加国であるスリランカシンガポール、フィリピン、インドネシアなどと対等に交流できることは、日本にとっても非常に有益なことであることが、スリランカ日本大使館を訪れた際に高橋大使、嶋崎公使の話で解った。
また、高知県に関しては、段田シンガポール事務所長の話では、INAPだけでは成果が出せないが、経済ミッションを組み合わせる事によって成果が出てくるとのことであった。
確かに経済ミッションは効果をあげているそうである。
昼食後一旦ホテルに帰り、16:30からバースでコロンボ港の視察に向かった。
視察途中で雨が降り出したので、バスに乗ったままの視察であった。

シンガポール事務所の揚田徹副所長の通訳で説明を聞いた。
彼は今年の4月からシンガポールに派遣された元港湾振興課の県職員である。
コロンボ港は新しくコンテナ港を整備中で、韓国のヒュンダイグループが工事を請け負っている。
現在の港の外側に延長6キロの防波堤を新設し、その内側に1バース2キロの物を3ヵ所の広大なコンテナバースを造る、水深はとりあえず18メートル、すぐに22メートルにするそうである。
(写真は完成模型)
日本には水深18メートルの岸壁を持つ港はまだ無い。
資金額は4年間で、防波堤に4億USドル(全長6キロ)、バースに5億ドル×3=15億USドル、これらの資金はプライベート、パブリックファイナンス(PPP)で、中国が約52パーセント、スリランカ政府が15パーセント、残る35パーセントがスリランカの民間資本である。(計算が合わん、と揚田君も言っていた)
来年4月に完成予定である。但し、日本人からみると、完成時期は不明とのこと
中国がこれだけ資金を出しながら工事を請け負えなかったということは、韓国のヒュンダイグループがよほど安く引き受けたのであろうと推測される。
コロンボ港の現在のコンテナ取扱高は450万TEU、内100万TEUが国内向け貨物である。
この視察はバスで行ったが、大型バスはほぼ満員であり、体重100キロを越す大石県議は隣に座るのを嫌がられる。薄情な同僚県議に怒った大石県議は私の横に強引に座り込んだ。

午後7時30分からINAPの懇親会、定刻に席に着いたのは我々日本人だけである。
いっこうに懇親会が始まる様子はない。
誰か挨拶する人が来ないからだとの話があった。1時間遅れで始まったが、挨拶したのはスリランカの代表でこの方は早い時間から会場にいた。
挨拶が終わってからも料理(バイキング形式)を食べられる様子はない。
やっと9時過ぎに料理を食べることが出来た。
この時間のずれは一体何なのだ、わけが分からん。
あとはやたら賑やかな太鼓と踊り、賑やかなだけなら高知のよさこい踊りも負けてはいない。

次に高知市で開催する時には、高知新港は規模が小さすぎるので、外国の参加者をよさこい踊りのボリューム一杯の音楽で聴覚を破壊し、酒の返杯、返杯で飲みつぶして港の視察を取り止めにする計画を練っている。
もちろん、その際に接待する我々は、スポンジ製の耳栓と酒酔い対策に大量の牛乳とソルマックを飲むことを忘れてはならない。
25日(木)8時ホテル発、9時にスリランカのカトウ―ナヤカ工業団地にある中川装身具工業株式会社を訪問、この会社は本社が東京であるが、1980年にここに進出し、30年間にわたりこの工場では金銀のネックレスを作っている。
菊池社長の話ではスリランカの人達は手先の細かい、忍耐のいる作業が似合っているそうだ。
この会社の工員の平均月収は160ドル(1ドル80円で12,800円)、ボーナスは1.2ヶ月で現地では良いレベルだという。
午後の便でシンガポールへ移動した。
スリランカの空港は日本からのODAで造られた、その旨を記した表示板が空港内の目に付きやすい所にあった。

26日(金) 10:30シンガポール教育省、シン・キム・ホー次長を訪問した。
次長の他に計画局、情報通信技術担当者、数学担当者、科学担当者、外国語教育担当者が参加した。通訳は段田所長が務めた。

(財)自治体国際化協会の資料によると、「シンガポールは1965年の建国以来、順調な経済発展を遂げてきた。その成功は、将来を担う有能な人材を積極的に発掘し、育成するその教育システムに負うところが大きいと言われている。このことは、教育省が所管する歳出予算が全体の20%を占め、国防省所管の歳出予算に次ぐ規模となっていることにも現れている。」
その特徴は「二言語主義」と「能力主義」である。
初等教育の1年生から、授業で公用語である英語と、華人系。マレー系、インド系それぞれの母語を学ぶ。
能力主義」とは初等教育4年生の終わりから、生徒の能力に応じて選別試験を行い、その後も何度か選別試験を受けて進路を決める。
シンガポールは義務教育のレベルが世界的に高く、国民の識字率を96 パーセントに上げた。
ここでは質疑応答が多く、予定時間の1時間半をオーバーし、2時間を過ぎたところで終了したが、各県議は時間があればもっと質問をしたかったようである。

その後はシンガポールを見学し、夜中の飛行機に乗った。
飛行機はシンガポールチャンギ国際空港を27日午前1時30分、35分遅れで出発した。(日本時間午前2時30分)
午前8時50分関西国際空港に到着、伊丹へ移動、11時45分伊丹空港発、12時33分高知空港着。
シンガポール事務所の段田所長、揚田副所長には大変お世話になり、有難うございました。