竹原半六君の逝去を悼む

私が中央大学少林寺拳法部へ入部して以来、四十数年親しく付き合いさせて頂いた竹原半六君が癌の為11月25日に亡くなった。昨日告別式をすませた。

f:id:nakanishi-satoshi:20181202090540j:image

竹原君は昭和29年3月14日に生まれ64年の生涯であった。

福島県いわき市小名浜の生まれ、磐城高校では応援団員で、磐城高校が甲子園で準優勝した時に応援のリーダーとして活躍している写真を見せてもらった。

中央大学商学部に現役入学しすぐに少林寺拳法部に入部した。私は一浪で2年生から入部したので、1年間は彼と一緒に過ごす時間が多かった。

初対面の印象は「何と生意気な奴だ」、でもすぐに意気投合し、二人とも「フーテンの寅さん」の映画が大好きで、少林寺拳法の練習の終わる午後2時以降に彼女のいない男同士2人で、飯田橋の佳作座?へよく映画を見に行った。

彼は大学4年になる時に、同期の谷野彰君と二人でポルトガルリスボン少林寺拳法を広めに行った。

一年後に復学して、公認会計士を目指して勉強していた。数年後に国税庁に入り、査察官をやっていた。

その後税理士資格を取り、29歳の時に故郷いわき市へ戻り、35年間地元で税理士をやって地元に貢献した。

私とはその間ずっと交流を続けた。

お通夜が終わり、奥様の秋美さんから、地元での結婚披露宴の司会を私が努めた話や、千葉の谷津遊園の近くで新婚生活を送っていた時に、私がオートバイに乗って訪ねた話しなどを聞いた。

私は、彼の故郷いわき市小名浜を訪ね、彼のご両親や高校時代の友人に会ったことは覚えていたが、何のために行ったのか忘れていた。私の従妹が福島市で結婚披露宴をやった時は、前日の夜彼を福島市へ呼んで飲んだ。

その後も、福島県高知県に別れても、電話で頻繁に連絡を取り合っていたし、時々東京で会ったりしていた。

彼を誘って2人でロサンゼルスに住む少林寺拳法部の同期の上林を一週間以上の日程で訪ねたのは7〜8年前であったか。

今年6月に上林が帰国した際には、竹原君が上京し、歓談した。それが最後となった。下の写真がそれで、左端が竹原君だ。

f:id:nakanishi-satoshi:20181202092855j:image
f:id:nakanishi-satoshi:20181202092859j:image

彼は生まれつき母から肝炎をもらっていると話していた。そして肝臓ガンの手術をしたのが3年前だ。

本人もそれほど長くは生きられないという話はしていたが、今回はあまりに突然のことで、ご家族も実感がわいていないようだ。

彼は男女2人ずつ4人の子供さんに恵まれ、2人の娘さん達にはそれぞれ孫も生まれ、短いが充実した人生であったと思う。

ご冥福をお祈りします。