柔道混合団体戦銀メダル、無念だが、感動を有難う❗️

今日は柔道混合団体戦を見た。

日本は準々決勝、準決勝と快調に勝ち上がったが、決勝でフランスに4-1で負けた。

無念だが、よく戦いました。

今回の東京オリンピックを通じて多くの国民、そして世界の人たちに日本柔道を印象づけ、感動させたと思います。

選手の皆様、そして井上康生監督をはじめ関係者の皆様、感動を有難うございました。

また、この大会を機に、日本柔道を指導してきた井上康生監督が任期を終え引退されるそうです。

2012年のロンドンオリンピックで男子が金メダルゼロに終わった日本柔道を復活させたのは間違いなく井上監督の力が大きいと思います。

21年前のシドニーオリンピックで金メダルを取った井上康生選手の決勝戦の姿は、今も私のまぶたに焼き付いております。本当にお疲れ様でした。

団体戦優勝したフランスは個人戦金メダルは1つであったとはいえ、本当に強かった。

国際ジュードーの本家はフランスでしょう。このフランス柔道発展の功労者が道上伯(ミチガミ・ハク)です。

「ヘーシンクを育てた男」(眞神博・著 文藝春秋刊)という本の主人公は道上伯、私はこの本を平成14年(2002年)に読みました。今回の団体戦後、読み返しています。

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同書によると、道上は、大正元年(1912年)愛媛県八幡浜市の生まれ、愛媛県八幡浜商業学校、旧制吉田中学校を卒業後、立命館大学へ通う傍ら、武徳会の武道専門学校で柔道を修業した。

卒業後は、旧制高知高等学校、上海の東亜同文書院へ就職して柔道を指導、また、柔道の全盛時代が戦争中であったが、試合では無敗を誇った。

昭和28年(1953年)、フランス柔道界の要請でフランスへ渡りフランス柔道を大きく発展させました。渡仏してから、89歳で亡くなるまで、道着を着て、率先してやって見せる指導者であったそうです。

さらにヨーロッパ、アフリカなどで柔道を指導し、無類の強さを誇り、柔道の国際化に大きな功績を残しました。

道上は、フランスを中心とした柔道の国際化の流れを肯定しつつも、武徳会柔道を教え続けました。

道上は講道館を経由せず渡仏・定住して指導にあたり、加えて戦後主流となったスポーツ柔道に異を唱えた事などで、日本の講道館とは確執があったとこの本には書かれています。

その確執もやがて解けて、昭和54(1979年)年からは毎年、全日本柔道選手権に招待されたそうです。

フランスの柔道人口は56万人、日本が16万人、このフランス柔道の普及に道上伯は大きな貢献をしているでしょう。

平成14年(2002年)、たまたま来日している時に体調を崩し日本で亡くなられたが、最後までフランスのボルドーに道場を持ち、指導を続けました。

柔道は度々国際ルールが改正され、また国際大会における判定ミスも度々ありました。

しかし、数年前に、このオリンピックでの「1本」と「技有り」しかない柔道にルールが改定され、確実に講道館柔道の精神が再び見直されていると感じています。

今回の東京オリンピックの、柔道のメダル獲得の多さで、それまで柔道に興味のなかった多くの国民が柔道フアンになったと思っています。

日本人柔道家の益々の活躍を期待しております。