24日(木)午後3時より、衆議院第一議員会館会議室で「責任ある積極財政を推進する議員連盟」の第一回勉強会が開かれた。
講師は中野剛志先生、演題は「高橋是清財政について」
中野剛志先生は「日本の未来を考える勉強会」の時にも何度か来ていただいて講演していただいてますが、「日本経済学新論 渋沢栄一から下村治まで」(ちくま新書)の中で高橋是清を取り上げて書かれているので講演をお願いした。
以下、中野先生の作成された資料を元に概要を説明します。
始めに、髙橋財政にいたる経緯です。
19世紀〜 金本位制(自国通貨と金の固定レートでの交換を義務付け)
戦後 欧米諸国は金本位制に復帰
米(1919年)、独(1924年)、英(1925年)、
伊(1927年)、仏(1928年)
金解禁(金本位制への復帰)を目指して緊縮財政
1929年10月 ニューヨーク株式株式市場の暴落
1930年1月 金解禁決行(為替レートの1割切り上げ) 昭和恐慌(大デフレ不況)
1931年 浜口内閣退陣、犬飼内閣成立(高橋是清蔵相)
高橋財政の実績
[政策]
金本位制からの離脱(金兌換の停止)、金利の引き下げ、日銀の国債の直接引き受け、
GNPの3%超の財政出動(公共投資(時局匡救事業))、増税の拒否
[成果](1932〜1936年):世界最速で世界恐慌から脱出、
経済成長:GNP成長率 年率6.1%
デフレ脱却と物価安定:GNPデフレーターの上昇率 年率1.5%
完全雇用達成(1936年)
しかも、1931年9月〜1933年5月は満州事変があった、戦時経済であったにもこの成果を上げた。
以下はレジュメの表題と、説明の抜粋です。
高橋是清はナショナリストでした。それは上司であった前田正名の国家観念から影響を受けたそうです。
・高橋是清の政策哲学②「協同の精神」
「消費者、生産者、配給者、金融業者の心が揃って、専心国家的に共同するようになれば、国内の産業はますます発展し来たり殷賑を加わるに至り、したがって資本も動くようになり、国民の働く目的もちゃんと樹つてくるから、不景気風の如きは吹き飛ばされてしまう。」
・高橋是清の政策哲学④「賃金重視」
「生産界に必要なる順位からいえば、労力が第1で、資本は第2位にあるべきはずのものである。ゆえに、労力に対する報酬は、資本に対する分配額よりも有利の地位に置いてしかるべきものだと確信している。すなわち「人の働きの値打ち」を上げることが経済政策の根本主義だと思っている。またこれを経済法則に照らしてみると、物の値打だとか、資本の値打ちのみを上げて「人の働きの値打」をそのままにおいては、購買力は減退し不景気を誘発する結果にもなる。」
・高橋是清の政策哲学⑤「金融資本主義批判」
「株式取引所でやり取りするところの金は資本であるか、ただの金であるか、私は取引所で動くところの金は資本と認められない。何ら生産をする方に使われる金ではない。そうしてみれば同じ金でも生産に働く金と、生産に何ら働きをなさぬ金と世の中にこのニ通りの金の種類があると見なければならぬ。」
株主資本主義に反対の立場で、原丈人氏の唱える公益資本主義に近い。
これも高橋の経験から理解していた。
・高橋是清の財政政策論①「国家間の経済競争」
ここから税収のみではなく、国債発行による国際競争力の強化の考え方が出てくる。
高橋是清はケインズが出現する前から、経験からケインズ経済学を実践していた。
例えは待合での芸者遊びで、あまり感心しないが、乗数効果を理解していた。
・高橋是清の財政政策論④「デフレのリスク」
「浜口・井上や財界の金解禁論者(緊縮財政論者)は、デフレ不況は非効率な企業を淘汰できるので、かえって望ましいと信じていた。」
今も財務省とそれに影響された一部の国会議員はこの主張をします。
それに対する高橋の反論です。
「かくのご如く生産業者をして、損失の苦痛を嘗めしめてまでも、人為的に物価を下落せしめ、これを以て喜悦しておるに至っては、けだし経済の理法を解せざるものであって寧ろ寒心に耐えざる事といわねばならぬ。実にかくの如きは一国の生産力をして衰微せしめる最大原因である」
「増加すべき当然の理由ありて増加したる通貨を急激に収縮したりとせんがために物価は下落すべしといえども、物価の下落は一面において不景気となり、失業者の増出を予想せざるべからず。したがって重大なる社会問題の発生を見るべし。」