安倍総理の所信表明演説

昨日の参議院本会議で安倍総理が40分間に及ぶ所信表明演説を行った。

昨日からマスコミで、与野党幹部の感想が報道されている。

安倍総理の経済政策は、地方にも着実に成果が表れている。

私の地元高知県でも、有効求人倍率は1倍を超える状況が3年前から続いており、正規雇用者の比率も増加している。また、県税の法人2税も増加し続けている。各業種で人手不足の声が聞こえる。

今回、各企業に対して3%の賃上げを求める具体策も提示した。

24日から衆参両議院で代表質問と予算委員会が始まる。森友・加計問題の質疑はもういいかげんにしてほしい。

予算と北朝鮮、中国に対する対応について論戦を交わしてほしいと思う。

第196回通常国会開会

1月22日(月) 9時20分より参議院自民党国会対策委員会、40分より参議院議院運営委員会、同時刻に参議院自民党議員総会、10時本会議、10時10分第1委員会室(予算委員会が開かれる部屋)で、東日本大震災復興特別委員会、同25分から「政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員会」この委員会は別館4階で開かれるので早足で移動。

11時30分から自民党衆参両院議員総会、安倍総裁、二階幹事長、橋本参議院議員会長が挨拶、10分ほどで終わり。

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12時40分、雪の降る中、有志議員で国会開会式に出席される天皇陛下を正門前でお出迎えした。

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こちらは衆議院議員、まだ天皇陛下到着前なので傘をさしている。

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こちらは参議院議員天皇陛下がご到着し、正面玄関から入られようとしている。

傘を閉じて最敬礼です、寒かった。

午後1時から参議院本会議場で国会開会式、10分ほどで終わる。

午後3時40分から参議院本会議場で全閣僚出席のもと、安倍総理の施政方針演説、河野外務大臣の外交に関する演説、麻生財務大臣の財政に関する演説、茂木国務大臣の経済に関する演説があった。

安倍総理は施政方針演説の中の「地方大学の振興」の項目の中で、「ナスの生産性で日本一の高知県。ナス農家では、新たな農法を実現することで生産性を2割向上しました。」と、高知県の進める環境保全型農業や高知県日高村の進めるトマト加工品の取り組みを紹介してくれた。

ちなみに、高知県が生産量日本一の作物は、ナスの他にもニラ、ミョウガ、シシトウです

午後5時分休会。

本会議場に移動する途中で雪景色を携帯電話のカメラに撮っていたら、雪に悩まされている長野県出身の宮島議員が、「南国育ちの中西さんは雪が珍しいだろうが、私は雪が降るとあの坂は(車で)登れないなと思う」と話しかけてきた。

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上の写真は議員会館の部屋から見た景色

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こちらは自民党国会対策委員会室から見た国会正面玄関前の景色です。

国対の部屋では私のほかに何人かの議員が外の雪景色を撮っていた。

皆さん南国育ちでした。

 

小川榮太郎著「森友・加計事件」を読んで

表題の本には「朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪」という副題がついている。

この本は昨年の11月か12月に自民党から送られてきていたが、この事案については衆参の予算委員会で質疑が行われ、その都度、何度かこのブログでも書いていたので最近まで読んでなかった。

朝日新聞小川榮太郎氏に対して裁判を起こしたとの報道もあった。

この本では朝日新聞NHKが事件をねつ造して安倍総理を退陣に追い込もうとしたこと、それに文藝春秋も加わったこと、これらのマスコミ記事をもとに野党議員が予算委員会などで安倍内閣を追求したことなどが詳細にまとめられている。

私は参議院予算委員会を傍聴して、いかに野党議員がマスコミ報道を利用してありもしない事実を、さもあったかのように断定する質問にうんざりしたことをブログに書いた。

国会の予算委員会などの模様はUチューブで流れているので、それを見ている人達は野党議員の質問が的外れである事に気付いている。

自民党議員は、衆参の予算委員会などでこの問題をきっちりと質した。

しかし、その質疑を産経新聞以外のマスコミはテレビも新聞もほとんど無視した。意図的に自民党議員の質疑は報道しなかった。

北朝鮮や中国問題など、日本を取り巻く状況が危機感を増している中でそれらを無視し、平成29年度予算を審議すべき予算委員会なのに、その質疑をほとんど行わずに森友・加計問題の質疑ばかりする野党議員に唖然とした。

昨年末、参議院の理論家といわれる自民党議員が我々に話したことが印象に残っている。

「我々も野党であった時に民主党政権を攻撃した。しかし、その時の一次情報は自ら調査して探し、その後状況に応じてマスコミにもその情報を流した。今の(森友加計問題に関する)一次情報はマスコミが流し、それを検証もしないで野党議員が質疑に使っている。これで成果で出るわけがない。」

香川県と高知市で挨拶回り

11日(木) 午前6:24発の汽車で高松市へ、香川県自民党賃貸支部の役員会へ出席、吉田宏基支部長(アート不動産社長)はじめ役員の皆様と昼食を食べながら国政報告を行った。

相続未登記の建物を何とかしてほしいとの要望があったので、現在法改正を行おうとしている公共の用に供する土地が、一定の条件のもとで都道府県知事の認可で借り上げが出来る制度や、個人の山林などについて話しをさせて頂いた。

吉田支部長が、私の次の訪問先である多度津町少林寺拳法総本山へ車で送ってくれるというので、2人で多度津へ向かった。高速道路を使って40分足らずで着いた。

少林寺拳法総本部山では、一般財団法人日本少林寺拳法連盟の川島一浩会長、大原一純・振興普及部長が出迎えてくれた。

総本山は大学4年の春以来の訪問で、建物がたくさん建っておりすっかり変わっていた。

川島会長とは東京では何度もお会いしている。

日本大学少林寺拳法部のOBで私の二期下になる。大原部長は法政大学のOBだ。

川島会長と二人でじっくりと話すのは初めてで、学生時代の話や、少林寺拳法の先輩方の話で盛り上がり、話は尽きない。

来月東京で、国会議員少林寺拳法議員連盟の会長交代の総会に川島会長がお見えになるので再会を約束して本山を後にした。

吉田支部長の車で、帰りは国道を瀬戸内海沿いに走る。この辺りの瀬戸内工業地帯は、元塩田を埋め立てたもので相当に広い。

私の小学生の頃まで塩は専売で、私の育った漁村では母の実家が専売店であった。塩の専売制度がなくなると共に塩田が成り立たなくなったそうだ。

瀬戸内工業地帯も各工場が人員削減で、人員の減少が止まらないとの話であった。

高松市内のホテルへチェックインしたが、吉田支部長が引き続いて車で送ってくれるというので、香川県漁連へ行く。

連絡も入れてなかったので、名刺だけ置いて帰ろうと思っていたら、嶋野勝路会長がちょうど在室で話が出来た。

2年前の参議院議員選挙当時は、嶋野会長は、魚養殖業者の団体である全国海水養魚協会の会長で、参議院議員選挙で推薦を頂き大変お世話になった。

養殖魚の輸出振興などで話が長引き、40分ほどお邪魔した。

夜は、吉田支部長、賃貸支部幹事長でもある(株)グローバルセンターの冨田稔社長と酒を酌み交わしながら楽しい話が続いた。

吉田支部長は75歳のお年とは思えないほどお元気で、タバコは1日2箱以上、酒も相当に強い。本当にお世話になり、有難うございました。

翌日は午前10時に国土交通省四国地方整備局へ、平井局長を訪問した。

平井局長はたびたび議員会館事務所を訪ねて頂いているが、局長室を訪問したのは3年ぶりのことであった。県議時代は年に2回ほど道路や河川、港の整備の要望で四国地方整備局を訪問していた。

その後、汽車で高知へ帰った。高知県庁で挨拶回り、各部局の県政課題について意見交換が出来た。夜は東京からNTTドコモ松本隆之さんが高知へ来たので会食。彼は私が開設した日本空手道佐藤塾文京支部の初めての黒帯で、当時はJCBカードの社員だった。

松本君から第一生命の高知支社長との会食だと聞いていたので、数人の会かと思っていたら、NTTドコモ高知支店長はじめ幹部社員の皆様と、第一生命高知支店の皆様を加えて14名の懇親会で大いに盛り上がった。

最後に皆さんと記念写真、

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宿毛へ帰る汽車の中でこのブログを書いているが、大変有意義で実りのある二日間だった。

 

再び「葉室麟」の小説など

年末から正月にかけて久しぶりにまとまって本が読めた。

葉室麟氏が亡くなってから、葉室氏の書いた武士の小説に凝った。「蜩の記」は本だけでは飽き足らず、女房の勧める映画もDVDを借りて見た、役所広司岡田准一が良い演技をしていた。その他「潮鳴り」「散り椿」「川あかり」「秋月記」など立て続けに読んだ。

元々時代小説は、池波正太郎の「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」などのシリーズ物、藤沢周平の時代小説など、結構好きで読んではいたが、葉室麟氏の小説にはまって江戸時代に生きた武士の生き方を考えさせられた。

この他、以前読んだ本を再度引き出して読んでみた。これもまた再発見がある。

政治関係では「人生を逆転させた男 高橋是清津本陽(PHP文芸文庫)が非常に感銘を受け、2度読み返した。

とりわけ、日露戦争の最中、戦費を工面する為に高橋がアメリカ、イギリスなどを訪問して日本の国債を苦労して売った話は、概要は知っていたが、詳しい内容はこの本を読んで初めて知った。

高橋是清は2.26事件で青年将校に殺された。

私はこれまで青年将校を評価していたが、この本を読むと、国家経済にうとい軍人が偏った思想家から扇動されて政治に関わると、国の方向を誤る危険がある事がよく分かる。

ただ、当時の状況は青年将校に限らず、統制経済を主張する政治家も数多くいたので、青年将校だけが悪いのではない。彼らが純粋に国を憂いて行動した事は間違いないと思う。そして、青年将校達が理想としていた我が国のあり方の一部は、昭和20年の敗戦後、占領軍によって実現されたとの見方もある。

空手家でもある今野敏の、沖縄空手家を題材にした小説も興味深かった。

「武士猿」は本部朝基、「チャンミーグワー」は喜屋武朝徳がモデルで明治末期から昭和20年頃までの話だ。

沖縄には今でも独特の稽古を続けている空手家がたくさんいる。

空手の型には棒やサイ、ヌンチャクなどの武器を使った動作がある事は知っていたが、この本を読んで、歳も考えずに棒やヌンチャクを振り回し、筋肉痛を起こした。

毎日、鍬の柄を竹刀の素振りのように振る運動を続けているのだが、棒は使う筋肉が違った。

女房が呆れた顔で私を見つめていた。

新年互礼会

4日(木) 午後1時から高知市内の新阪急ホテル高知県建設産業団体の新年互礼会があり出席、午後5時30からは地元宿毛市の秋沢ホテルで、宿毛商工会議所の新年互礼会に出席した。

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(写真は宿毛市会場)

両会場で多くの皆様と意見交換をすることができた。

皆さまの景気に関する意見は、景気は良い、人手不足、この景気拡大がいつまで続くのかの不安がある。

政府が景気拡大の具体策、それは公共事業をはじめ政府支出を増やす事であり、増税ではないと思う。

それを国民の前に示す事が出来ればさらに景気拡大につながると思う。

謹賀新年

皆様に新春のお慶びを申し上げます。

久しぶりにくつろいで本を読む時間が出来ました。

今野敏葉室麟氏の小説を読んでおります。

大晦日から佐藤智恵さんの「ハーバード 日本史教室」(中公新書ラクレ)も読んでます。この本はハーバード大学の授業で何人かの教授が日本史を教えている内容を紹介しております。

まだ読んでる途中ですが、早くも印象に残る教授の話がありましたのでご紹介します。

一つはアンドルー・ゴードン教授の話です。

日本は品格のある国家になってほしい、という話です。【 】内は本の引用です。

【日本は、少子高齢化、人口減少、経済停滞などの問題に世界で最初に直面する国です。アメリカ、西ヨーロッパ、韓国、中国などもいずれ、日本と同じような問題に直面することでしょう。

日本は、「大きな社会的な動乱を起こさずに、課題を解決していく方法はある」ということを示す世界のモデル国となると思います。】

現在の取り組みを評価していることを話しながら【私がいう「品格ある国家」とは、日本の皆さんが考えるイメージとは異なるかもしれません。国民が「わが国は特別でも完璧でもなく、わが国にも暗い歴史はあるのだ」と認めた上で、自国を誇りに思う…、これこそ品格ある国家の姿です。】

ゴードン教授から見ると、現在の我が国は【若い人には、自国の良いところばかりを教えて、愛国教育を施す。】国と見えているようです。

教授は米国についても、奴隷制度、人種差別などの負の部分がある事を話しておりますし、同じレベルでトランプ大統領を批判しております。

もう一つが、デビット・ハウウェル教授が、いちばん興味のある武士として授業で取り上げている、幕末期の須坂藩(現在の長野県須坂市にあった藩)の大名、堀直虎です。

【直虎は、1861年、二十代で大名になり、外様大名であったにもかかわらず、譜代大名と同等の扱いを受けていたそうです。

彼は1867年、将軍に就任したばかりの徳川慶喜から若年寄兼外国総奉行を命じられます。「若年寄」は幕府の中でもかなりの重職で、通常は譜代大名から選ばれることになっていましたが、直虎は外様ながら抜擢されたそうです。

この直虎が1868年1月、鳥羽・伏見の戦いの後、大阪から江戸城に逃げ帰った慶喜に、何らかの進言をしたと伝えられています。そしてその直後に切腹してしまうのです。数えで33歳でした。

理由は諸説あり、定かではありませんが、挙兵して薩長と戦うように、命をかけて進言したのではないか、と言われています。】と紹介されております。

年末の30日でしたか、テレビで、鳥羽・伏見の戦いを検証する番組を見ました。

この戦いは、薩摩を中心とする新政府軍は約5千名の兵力、対する会津藩を中心とする幕府軍はその3倍の1万五千人の兵力を有していたそうです。

また、大阪湾に停泊する、榎本武揚率いる幕府軍の軍艦は、薩摩藩の軍艦を、隻数でも、大砲でも圧倒していたそうです。

幕府軍には驕り、作戦のまずさ、味方の裏切りがあった事が紹介されてました。

一方で、新政府軍もうろたえる公家の臆病ぶり、薩摩軍の指揮をとる西郷隆盛の苦悩なども紹介されており、幕府軍が優勢であったようです。

私は大学生時代から新撰組が好きで、この戦いにおける新撰組の奮闘ぶりは何度か読みました。

新撰組は刀と槍で、先込め式の鉄砲を持つ薩摩軍に戦いを挑み壊滅的な惨敗をしました。

ただ、会津藩などは、新政府軍以上の武器、ボルトアクション式のライフル銃を装備しており、この点でも優勢であったようです。

戦いは、装備や人数の多い方が勝つとは限りません。この戦いでもそれが証明されているようです。

何より、幕府軍の総大将である徳川慶喜が、突然大阪城から軍艦に乗って江戸へ逃げ帰った事は、未だに批判されておりますし、本人も明治20年ごろに、あの判断が間違っていたと述べています。

その慶喜に、堀直虎は、新政府軍と戦うよう進言して切腹したのでしょう。

私はこのテレビ番組を見るまで、堀直虎の事を知りませんでした。

徳川幕府にも素晴らしい人物がいた事を再認識しました。

その後、戊辰戦争戦は1年半に渡り続き、新政府軍は東北地方、北海道まで攻め上り、会津藩の悲劇を生み、また、私の好きな新撰組土方歳三は函館の戦いで戦死しました。