謹賀新年

皆様に新春のお慶びを申し上げます。

久しぶりにくつろいで本を読む時間が出来ました。

今野敏葉室麟氏の小説を読んでおります。

大晦日から佐藤智恵さんの「ハーバード 日本史教室」(中公新書ラクレ)も読んでます。この本はハーバード大学の授業で何人かの教授が日本史を教えている内容を紹介しております。

まだ読んでる途中ですが、早くも印象に残る教授の話がありましたのでご紹介します。

一つはアンドルー・ゴードン教授の話です。

日本は品格のある国家になってほしい、という話です。【 】内は本の引用です。

【日本は、少子高齢化、人口減少、経済停滞などの問題に世界で最初に直面する国です。アメリカ、西ヨーロッパ、韓国、中国などもいずれ、日本と同じような問題に直面することでしょう。

日本は、「大きな社会的な動乱を起こさずに、課題を解決していく方法はある」ということを示す世界のモデル国となると思います。】

現在の取り組みを評価していることを話しながら【私がいう「品格ある国家」とは、日本の皆さんが考えるイメージとは異なるかもしれません。国民が「わが国は特別でも完璧でもなく、わが国にも暗い歴史はあるのだ」と認めた上で、自国を誇りに思う…、これこそ品格ある国家の姿です。】

ゴードン教授から見ると、現在の我が国は【若い人には、自国の良いところばかりを教えて、愛国教育を施す。】国と見えているようです。

教授は米国についても、奴隷制度、人種差別などの負の部分がある事を話しておりますし、同じレベルでトランプ大統領を批判しております。

もう一つが、デビット・ハウウェル教授が、いちばん興味のある武士として授業で取り上げている、幕末期の須坂藩(現在の長野県須坂市にあった藩)の大名、堀直虎です。

【直虎は、1861年、二十代で大名になり、外様大名であったにもかかわらず、譜代大名と同等の扱いを受けていたそうです。

彼は1867年、将軍に就任したばかりの徳川慶喜から若年寄兼外国総奉行を命じられます。「若年寄」は幕府の中でもかなりの重職で、通常は譜代大名から選ばれることになっていましたが、直虎は外様ながら抜擢されたそうです。

この直虎が1868年1月、鳥羽・伏見の戦いの後、大阪から江戸城に逃げ帰った慶喜に、何らかの進言をしたと伝えられています。そしてその直後に切腹してしまうのです。数えで33歳でした。

理由は諸説あり、定かではありませんが、挙兵して薩長と戦うように、命をかけて進言したのではないか、と言われています。】と紹介されております。

年末の30日でしたか、テレビで、鳥羽・伏見の戦いを検証する番組を見ました。

この戦いは、薩摩を中心とする新政府軍は約5千名の兵力、対する会津藩を中心とする幕府軍はその3倍の1万五千人の兵力を有していたそうです。

また、大阪湾に停泊する、榎本武揚率いる幕府軍の軍艦は、薩摩藩の軍艦を、隻数でも、大砲でも圧倒していたそうです。

幕府軍には驕り、作戦のまずさ、味方の裏切りがあった事が紹介されてました。

一方で、新政府軍もうろたえる公家の臆病ぶり、薩摩軍の指揮をとる西郷隆盛の苦悩なども紹介されており、幕府軍が優勢であったようです。

私は大学生時代から新撰組が好きで、この戦いにおける新撰組の奮闘ぶりは何度か読みました。

新撰組は刀と槍で、先込め式の鉄砲を持つ薩摩軍に戦いを挑み壊滅的な惨敗をしました。

ただ、会津藩などは、新政府軍以上の武器、ボルトアクション式のライフル銃を装備しており、この点でも優勢であったようです。

戦いは、装備や人数の多い方が勝つとは限りません。この戦いでもそれが証明されているようです。

何より、幕府軍の総大将である徳川慶喜が、突然大阪城から軍艦に乗って江戸へ逃げ帰った事は、未だに批判されておりますし、本人も明治20年ごろに、あの判断が間違っていたと述べています。

その慶喜に、堀直虎は、新政府軍と戦うよう進言して切腹したのでしょう。

私はこのテレビ番組を見るまで、堀直虎の事を知りませんでした。

徳川幕府にも素晴らしい人物がいた事を再認識しました。

その後、戊辰戦争戦は1年半に渡り続き、新政府軍は東北地方、北海道まで攻め上り、会津藩の悲劇を生み、また、私の好きな新撰組土方歳三は函館の戦いで戦死しました。