パプアニューギニア慰霊の旅 その4(終)

7月20日午前7時10分 ホテル発
8時発ポートモレスビー行きの飛行機に乗るために、5時30分起床で飛行場へ着いたら飛行機が来ない。
写真にあるのが待合室である、トイレもない。

おそらくオーストラリア人であろう白人も5〜6人いる、中の一人が西村さんを見つけて話しかけ、握手をしている。
オーストラリアでは「ココダの約束」は発売数週間で3万部売れたベストセラーであると聞いた。
西村さんは有名人である、私のこのブログにもケアンズに住む日本女性でオーストラリア人と結婚している方から、自分の夫が西村さんをサムライとして尊敬している、よろしく伝えてくれとのメールが届いたことは前に紹介した。
予定時間になっても飛行機が来ない。
添乗員の浜渦さんがポートモレスビー空港へ何度か電話するが、いつも離陸準備をしているとの返事であった。飛行機が故障して代替機を用意しているそうだ。
1時間30分遅れて、やっと9時30分に写真の飛行機が着いた、ボンバルディアの36人乗りだ。

本来なら60人乗り?の予定であった。数年前に比べればこの飛行機はまだましだと聞いた。
結局2時間遅れで出発、ポートモレスビーでは買い物の時間もなく、日本大使館に向かう。
ポートモレスビーは日本並みの都会であるが、相当治安が悪い、電気水道などのインフラ整備は遅れているとのことだ。
大使館では橋廣治特命全権大使と川田参事官兼総領事が出迎えてくれ、昼食を取りながら懇談した。ここの日本料理が美味しかった。
橋大使は昨年9月からパプアニューギニアに来たそうだ、戦史にも詳しく西村さんや我々にたいへん好意的であった。

(写真黒の背広が橋大使、黄色の半袖シャツが中西、大使の左が西村氏)

大使の話ではパプアニューギニアは非常に親日的である。
大使はオーストラリアの勤務経験もあり、オーストラリア側から合同慰霊祭をやろうとの話しもあるが、自分はまだ、そんな気持ちになれないので鄭重にお断りしているとのことだった。
パプアニューギニアはLNG(液化天然ガス)の開発が盛んで日本企業もLNGプラントに参加しており、何十人か来ているとのことである。
帰国後調べたら、パプアニューギニアLNGグローバル社というメジャー系の会社に新日本石油が5.4%出資しており、この会社の年間生産量660万トンのうち180万トンを、東京電力が2014年から購入する20年契約を結んでいるとの情報があった。
また、私が橋大使に日本からのODAについて質問すると、ポートモレスビー空港は日本のODAでできた、空港にはその記念碑が建っており同行の大田祐介福山市議は気づいたとのことであった。
道路整備について質問すると、基本的に現地人は車を使用しない、食料は自然にあるので自活できる、この生活を壊していいものかどうか分からない。
また、治安が悪いので工事をするにあたっても山賊対策の警備にお金がかかる。橋の整備であれば距離も限られてやり易いが、道路整備となると警備する距離が長すぎるので難しいとの話であった。
雨が多いので簡易水道の整備について質問すると、それはこれからやろうとしているとのことであった。
ただし、大多数の住民は電気も水道もあまり必要ない、少なくとも百数十年間は変わらぬ生活を送り続けているのだ。
さらに橋大使に、成田空港の待合室で西村さんから相談された、日本政府の援助を得て再度パプアニューギニアに小学校を建てたいという話をした。
大使は、日本政府の「草の根基金」は現在でも継続している。パプアニューギニア側から学校を建設する場所、しっかりとした建設理由等を日本大使館に提出してもらえばこちらで判断するとの話で、大変好意的であった。
以前は西村さんが現地にいて要請したから「草の根基金」が交付された、しかし、現在ココダ周辺にしっかりとした現地人がいるかどうかが問題だ。
1時間半ほど有意義な話をして大使館訪問を終えたが、橋大使には本当に親切におもてなしをしていただいた、感謝している。
帰りの飛行機は14時40分発、飛行時間は約6時間であるが昼間の便は体が楽である。
成田空港のホテルに着いたのは21時半頃であったが、ふんだんに出る水道がうれしい。
宿毛へ帰って、出発前に電話をくれた谷坂さんを訪ねて写真を見せながら話をした。
谷坂さんのお兄さん正行氏は昭和18年1月12日にギルワで戦死した、そのため妹の自分が家業を継いだ。
これまで遺族会から現地慰霊のお誘いはあったが、まだパプアニューギニアには行ったことがない、80歳を過ぎた今おそらく現地には行けないであろう。
初めて現地の写真を見たとのことで大変喜ばれ、娘さんと3人で1時間以上話をした。
その他にも、生き残りの元兵士が宿毛市に健在でいらっしゃるという話も聞いた、早く訪ねようと思っている。
7月25日、尾崎知事に土居、大石両県議、高知新聞・福田記者、高知放送・田中記者の5人で報告に行った。
今回の慰霊巡拝団の辻本団長から、来年も行くので高知県の尾崎知事にも是非一緒に行っていただきたいとの伝言が、大石県議を通じてあったので伝えたところ、尾崎知事は非常に乗り気であった、日程調整さえ合えば同行していただけると思う。

写真は3日間過ごしたホテルの部屋、旧式の冷房室内機、天井の飛行機のプロペラのような扇風機、どちらも轟音をだす。大石君はそれらを全開にして轟音のなかで寝る。写っているベッドは大石君使用の物、私のは手前にシングルベッドがある。