第51回ニューギニア戦域戦没者慰霊祭

昨日と同じ護国神社下の境内で、高知県ニューギニア会主催の第51回ニューギニア方面戦没者慰霊祭が行われたので参列した。
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こちらもご遺族の出席者は昨年より少ないが、戦友が2名出席された。
ニューギニア方面の高知県出身戦没者は4893柱、昨日のフィリピン戦域戦没者より多い。
高知県フィリピン会の坂本功会長がおられたので昨日のフィリピン戦域戦没者慰霊祭の出席者数を聞くと140名ほどだったとの事、数年前までは200名以上が出席していたという。
ニューギニア方面の戦没者の多くは昭和17年7月から昭和18年1月にかけて実施されたポートモレスビー攻略作戦の戦死者だ。
この作戦は大本営直轄部隊の南海支隊によって実施され、その中心となったのが高知市朝倉で編成された歩兵第144連隊だ。
日本で初めての海兵隊で、その生き残りが西村幸吉さんだ。
昨夜は南海支隊戦友遺族会の懇親会が高知市で開かれ、和歌山高野山から駆け付けた辻本喜彦事務局長はじめ、西村幸吉さんの「ココダの約束」に感銘を受けた人達が18名参加し、三時間にわたり語り合った。
この会はご遺族以外でも同じ思いの皆様が集い、本当にあっという間に時間が経ち、まだまだ時間がほしいと感ずるほど話がはずむ。
元県議の大石宗君が、広島県福山市の市議会議員である大田祐介氏が編集、執筆した、南海支隊の構成部隊であった歩兵第41連隊(福山市で編成)の足跡を記した「永遠の四一」を再度持って来たので買って読み始めた。
元兵士の手記がたくさん載っている、力作だ。
ニューギニア戦は昭和18年1月以降は西部ニューギニアに移り終戦まで続いた。
この西部ニューギニアの戦いで、昭和19年10月2日、私の叔母の父、大月町龍ヶ迫出身の武田春吉氏が戦死された事は、昨年叔母から聞いた。
妻と6人の子供を残しさぞや無念であったろう。
未亡人となった妻は戦後6人の子供達を育てた。私が知り合った当時は温厚なお婆ちゃんで、戦争未亡人であった事は全く知らなかった。
春吉氏はヤカチ川周辺で戦死されたようだが、戦死広報はカカチ川となっていた。おそらく読み違いだろうと思う。
これもニューギニア戦に詳しい友人に教えてもらうまで分からなかった。