ココダ再び「ココダの約束」西村幸吉さんも同行・最終章

8日(火)は午前11時にポポンデッタ発の飛行機でポートモレスビーへ帰る、それまでの時間を利用して、西村さんが宿毛市沖ノ島航路で使われていた定期船「沖ノ島丸」が沈んでいるオロ湾を見に行った。

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途中、西村さんがポポンデッタでご遺骨の収容をする時に一番信頼していたイエワゴ・トロシャン氏のお墓参りをしたいというので立ち寄った。

西村氏は後にこの息子さんエリック・トロシャンを日本に呼んで自動車整備技術を身につけさせて成功した。家の敷地内には自動車整備工場があった。

オロ湾は美しい港である。

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アメリカ軍が東部ニューギニア侵攻の際に物資の揚陸、貯蔵に使うために整備したものだそうだ。

ここに米軍の爆弾が山積みにしてある、辻本氏の話では500キロ爆弾だそうだ。

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もちろん、信管も火薬も抜いてある。近くには水陸両用装甲車が百台以上放置してあるとの事であった。

戦前の日本軍も、自衛隊も武器弾薬は空薬きょうといえども再使用できるので大切にする。

私が中学生の頃、陸上自衛隊員であった方から、富士の裾野で演習した際、自衛隊は空薬きょう一発でも紛失すれば、見つかるまで全員で探すが、一方米軍は使わなかった実弾を埋めて帰ったのを見て、あまりの格差に愕然とした話を聞いた事があった。

おそらく、戦後不要になった爆弾を放置したのだろう、ここでも工業力の差をまざまざと見せつけられた。

しかもアメリカは日本と戦う以前から、ヨーロッパ戦線でもイギリス、ソ連に大量の物資を送り、それがなかったならば英国、ソ連は早い時期にヒトラーのドイツに敗れていただろうと言われている。

こんな工業力のある国を相手に戦争して長期戦で勝てるわけがない。

日本人は何事も几帳面に処理をする。これはこれで素晴らしいのだが、帰国して読んでいる「戦略の本質」という本の中に、戦争は机上の演習通りにはいかない、必ず突発的な出来事が起きる。その際物をいうのは「余裕」である。

アメリカは高い工業力があり、余裕がある。

ついでにアメリカ人の考え方や、やる事も合理的ではあるが、きわめて大雑把である。西部地域だけとはいえ8回アメリカを訪問した私の感想である。

20分ほど見学して空港へ向かう、今回はほぼ定刻に飛行機が来て、11時に出発した。

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(写真は飛行機を待っている人達、後ろに見えるのは戦前の米空軍のB25爆撃機の残骸)

帰りは直行便がないので、香港経由で帰ったのだが、ニューギニア航空の飛行機がポートモレスビー空港を飛び立つ直前停止、故障のために引き返すとのアナウンスがあった。

こんな経験は初めてだ、今夜はポートモレスビー泊かなと考えていた。

機内トイレの煙感知器が作動したことが原因のようで、1時間30分遅れで出発したがヒヤヒヤした。

また、一旦駐機スポットへ戻った際に、隣にオーストラリア空軍の小型ジェット機が見えた、隣に座っている自衛官の村中さんが「空自の制服を着た人がいます」と言う、見ると二十人ほどが飛行機の側で話し合いをしており、その中に航空自衛隊の制服を着た人が2名と、その他にも日本人がいた。

この後、ニューギニアを訪れる安倍首相の警備担当者が先乗りしたもののようだ。

出発日に成田空港で、搭乗待合室にも背広を着た5~6名がおり、たまたま大石君が高校時代に剣道の試合で知り合った同級生がおり、名刺をみると警視庁の警備課勤務であった。先乗りで警備地を視察して警備体制を検討する役目であろう。

安倍総理は本当にエネルギッシュに外交を行う、こんな総理大臣は初めてだ。

今回のニューギニア訪問は天然ガス輸入の件も目的に入っていると報道されていた。

我々が3年前に来た時に、東京電力天然ガス輸入の契約をしており、3年後に実施すると報道されていた、今年から実施されているようだ。

14時15分ポートモレスビー発の飛行機が1時間半遅れで出発、6時間30分の飛行時間で、時差2時間遅れ、現地時間 時頃香港空港着

香港空港で、23時50分の飛行機で羽田へ帰る方が半分、我々は香港へ一泊のコースだが、飛行機が延着したのと、空港内で迷子になった人がいたりして九龍地区のホテルへ着いたのが午後10時を回っていたので遅い夕食をとって寝た。

ポポンデッタに続いてここでも大石君と同室だ、シャワーは存分に出るし、文明国のホテルは有難い。

翌日は午前6時30分ホテル発、香港には初めて泊った、九龍地区の街並みは高層ビルが乱立していて、その合間を高速道路が走っている、急速な経済発展を感じる。

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また、コンテナ港としては東南アジア有数の港である。ガントリークレーンが何十台も見える。(写真)

9時10分香港空港発の便で3時間45分の飛行時間で関西空港に着いた。

昨年はフィリピン、ミクロネシアオーストリア、アメリカと4回も海外出張があった。

日本に帰るたびに、平和で安全で、清潔で、国民の民度が高いことをつくづく感じる。

素晴らしきかな日本、ただ一つの心配が「平和ボケ」である。

(お知らせ)

昨日のブログに写真追加と訂正(通信社調査、賛成→反対)を、一昨日のブログにシャワーで困っている写真を追加しましたのでご覧下さい。