高野山で南海支隊戦友遺族会の幹事会開催

5月4日和歌山県高野山で南海支隊戦友遺族会幹事会が開かれ大石宗県議と二人で出席してきた。
その他に広島県福山市から歩兵第41連隊の戦史を研究している大田祐介市議会議員も参加した。
南海支隊戦友遺族会とは大東亜戦争中の昭和17年7月から翌18年1月にかけて行われたニューギニアポートモレスビー攻略作戦で戦死した方々の集りで、会長は御尊父が南海支隊の戦友であった高野山に住む辻本喜彦氏である。

(辻本事務所での報告会の様子、左から辻本氏、中西、福山市の大田祐介市議、その右は丸谷氏)
この戦いはこれまで何度かブログで書いてきたが、昨年高知新聞で生き残った兵士西村幸吉さんを中心として「祖父たちの戦争」と題して半年間にわたって連載され大きな反響を呼んだ戦いであり、また、西村さんのニューギニアでの御遺骨の収容活動をオーストラリア人が取材して書いた単行本「ココダの約束」は高知県でも反響を呼んだ。
その影響で私と大石県議、ふぁーまー土居県議の三名は昨年7月南海支隊戦友遺族会主催のパプア・ニューギニア慰霊巡拝団に参加した。
その様子は昨年秋に高知放送のニュース特別番組で放送されたし、最近も高知放送がオーストラリアへ取材し、現地の高校の授業で単行本「ココダの約束」を使って高校生が歴史を勉強している姿が放送され大きな反響を呼んだ。
この作戦で戦った南海支隊は高知市で編成された陸軍歩兵第144連隊を中心とし、広島県福山市編成の歩兵第41連隊、大阪府高槻市編成の独立工兵第15連隊などで構成された部隊である。
防衛庁戦史室などの資料を元に辻本会長が独自に戦友に聞き取り調査した資料によれば、第144連隊が当初参加部隊員3,500名、補充人員1,150名、戦死者3,264名、第41連隊の参加部隊員は2,558名、戦死者2,021名、独立工兵第15連隊が参加部隊員1,150名、戦死者980名と大変大きな犠牲を出しており、多くの御遺骨はまだ現地で眠っている。
最近になって、南海支隊戦友遺族会独自で「ココダの約束」の監修者である丸谷元人(ハジメ)氏をオーストラリアに派遣し、丸谷氏がオーストラリア戦争記念館などで資料調査を行い新しい資料が見つかったので、その報告会を行ったものである。
なお、派遣にあたっては辻本氏が広く派遣費用の御寄付をお願いし、高知県の関係者からも御寄付をいただいたことをお知らせします。

(翌日宿泊した蓮華定院の中庭で記念撮影、左から中西、辻本氏、丸谷氏、大石県議)
丸谷氏は現在37歳で、オーストラリア国立大学を卒業しており、24歳の頃からオーストラリアで日本の防衛大学校のある教授の戦史調査の通訳の仕事をして以来日本軍の南太平洋における戦史を非常によく調査研究しており、とりわけニューギニア戦には非常に詳しい。
今回の調査で新たな資料が見つかったが、まだその内容についてはお知らせできないが、日本政府に新たに動いてもらう必要性が出てきた。
高野山の宮大工である辻本氏の事務所で5時間にわたり報告会と熱い意見交換会が開かれた。
宿泊したのは辻本さんが檀家総代を務める蓮華定院、偶然にも高知県財政課の女性課長添田(旧姓鷲津)さんの嫁ぎ先であり、彼女の伴侶は住職の長男で経済産業省の官僚である、昨年秋に結婚した。
夕食は添田住職ご夫妻、住職の93歳になられる母上も御一緒になり話が弾んだ。
三人とも英語が話せるためこのお寺は外国人の宿泊者がとりわけ多いとのことであった。
住職のお計らいで般若湯を出していただいたが、話が弾みすぎて某県議はじめ鯨飲家が数名おり、住職が目を回したのではないかと推測されるほど一升瓶が何本も空になった。
翌日は辻本さんの案内で高野山奥の院などの見学と、御遺骨も埋葬してある独立工兵第15連隊の慰霊碑のお参りをした。
大石県議と二人で電車を乗り継いで行ったが、私にとっては帰りの電車が体にこたえた。