「日本のいちばん長い日」

表題は大宅壮一編集(実際は半藤一利著)の「日本のいちばん長い日」(初版1965年、文芸春秋)であり、
映画は東宝が製作し1967年(昭和42年)公開となっている。
私が高校1年生の頃なのだが、この映画を高知市で観たのか、東京で観たのか記憶が定かでないが、両方で観ているのかもしれない。
昭和20年8月14日から15日にかけて、天皇陛下の終戦の玉音放送を阻止して抗戦を主張する陸軍青年将校の反乱を描いたものである。
強烈な印象として残っているのが、阿南惟幾陸軍大臣を演じた三船敏郎の割腹自決のシーンであり、阿南陸相の血染めの軍服は私の大学生時代には靖国神社遊就館に展示されており、何度か見に行った。
また、陸軍近衛第1師団の森赳師団長を射殺する抗戦派の畑中健二陸軍少佐を演じた黒沢年男の演技も強烈な印象に残った。この時黒沢はまだ無名の役者であったが、この映画で俄然注目されることとなった。

(写真はこの本に掲載された田中大将)
そして、この反乱を防いだのが東部軍司令官田中静壹陸軍大将で、映画では石山健二郎が演じた。
東部軍とは関東地方の警備を担当する部隊であり、近衛第1師団はその管轄下にあった。
畑中少佐などの抗戦を主張する青年将校達が田中大将に決起を促しにいって、逆に一喝されて逃げ帰るシーンが印象に残っていた。
しかし、この田中大将が終戦後の8月24日深夜、東部軍の事務処理手続きを終えて、マッカーサーが厚木基地に降り立つその前夜に東部軍司令部で拳銃自決を遂げていた事は最近知った。
そして、田中大将の生涯を当時の副官であった塚本清少佐が自費出版した本(非売品)に残していたことを知った。
インターネット通販で調べてこの本を手に入れて読んだ。
「あゝ皇軍最後の日」と題するこの本の表装は厚い布張りであり、322ページの本である。しかも、中に2箇所、田中大将の自筆の文書のコピーが和紙で綴じこんである。相当値のはる本である。
この本によれば、田中大将はポツダム宣言受諾の時から自決を決意されていたようだ。
そして、8月15日以後は妻に「塚本が拳銃を渡してくれんので困る」とこぼされ、操夫人は、自決の数日前、塚本少佐に対して「塚本さん、主人にピストルを渡してあげて下さい」と言い、塚本少佐はそれでやむなく当日拳銃を渡した、最後は塚本副官が部屋に呼ばれ、入って田中大将と目があった瞬間に自分の心臓に当ていた拳銃の引き金を引いたと書かれている。
私はこの本を読んで感動し、改めてインターネットで映画「日本のいちばん長い日」を調べた。
実在の人物と映画で演じた俳優を記すと、陸軍近衛第一師団森師団長を島田正吾が演じた。
森師団長は、決起を促しに来た椎崎二郎中佐(中丸忠雄が演じた)、近衛師団参謀の古賀秀正少佐(東條英機の娘婿で、佐藤允が演じた)、畑中少佐、航空士官学校の上原大尉の要請に反対し、たまたま居合わせた森師団長の義弟、中部軍参謀の白石中佐が庇おうとすると、上原大尉が白石中佐を日本刀で惨殺、さらに畑中少佐が森師団長を拳銃で射殺した。
陸軍の抗戦派の将校は、他には陸軍省の井田正孝中佐を高橋悦史が、竹下正彦中佐を井上孝雄が、近衛師団参謀の石原貞吉少佐を久保明が演じた。
陸軍航空士官学校の上原大尉は、映画では黒田大尉として中谷一郎が演じたが、黒田大尉は上原大尉と通信学校の窪田兼三少佐を合わせた人物として描かれており、窪田は戦後も生き残り、自分が森師団長を殺害したと証言していたと言う。
近衛第1師団の建物は現在も整備されて北の丸公園の一角にある。私の学生時代には荒れ果てた状態で鉄条網で囲って入れなかったが、私は日本学生同盟の先輩に連れられてこの建物に入り、森師団長が惨殺された部屋に入った事があった。
この本には、塚本清陸軍少佐から見た抗戦派の青年将校の人物評がある。
私も初めて知った事だ、全文を転載する。
「反乱を企てた畑中少佐は純真な激し易い性格であり、椎崎中佐は沈着剛毅その風貌も西郷南洲を思わせる人物である。古賀少佐は東條大将の娘婿、眉目秀麗な純情な青年将校であった。上原大尉は頭脳明晰な航空士官学校を恩賜で卒業した人物である。その他この事件に関係あった井田中佐、石原少佐等何れも優秀な国軍将校の中堅を為す人々であった。抗戦といい、和平といい、国を思う至情に変わりはない。これらの人々の考えは、ポツダム宣言の条件下に皇位の存続は困難であるというのにあった。これらの人々の選んだ途は確かに間違っていた。しかし、その至情と赤誠、何れもその責を負って自刃せられた最後に対して、私は深い敬意を捧げる。」
そして、抗戦派の青年将校の多くはその後自決するのだが、それについても「古賀少佐は森師団長の室で、割腹自決をし、畑中少佐、椎崎中佐は宮城前松林の中で、それぞれ自刃し果てた。」と書かれており、これらの様子は映画にも出てくる。
終戦の混乱の中で多くの軍人が自決した。
宮城事件と呼ばれるこの事件も、抗戦派の青年将校に対する戦後の評価は狂信的な行動であるとして決して芳しいものではない。
私はこの本を読んで、改めて抗戦派の青年将校も、それを阻止した森師団長、田中東部軍司令官の行動にも敬意を表する。
written by iHatenaSync