花井さんの父上、倉橋一美さんは黒潮町大方の出身で昭和17年から18年1月にかけた行われた、ニューギニアのポートモレスビー攻略作戦に高知で編成された歩兵第144連隊の一員として参加し、昭和18年1月18日にギルワで戦死している。
当時30歳、故郷には4歳の長女・睦さん、2歳の弟さん、妻・春子さんを残しており、日記には妻や子供に対する思い、特に最後まで子供の顔が見たいと書き続けられている。
戦死される3日前まで書き続けた皮表紙の日記が、戦後の昭和31年にアメリカから遺族の元に届けられた。花井さんが18歳の時であったそうだ。
その時の様子はこのブログにも書いてある。
2年後に花井さんは父上の日記を整理して出版し、それが出版文化賞を受賞した。
南海支隊戦友遺族会でも祝賀会を計画したが、その時は神奈川県に住んでおられる花井さんが体調を崩して高知へ来る事が出来なかった。
今回の祝賀会には大西黒潮町長も出席されて祝辞を述べた。