奥谷博画伯の高知市での回顧展へ出席

11月3日文化の日高知県立美術館で、私の故郷高知県宿毛市出身の奥谷博画伯の「奥谷博ー無窮へ」と題する回顧展の開会式典があり出席しました。

奥谷画伯は1996年に日本芸術院の会員に選出され、2007年には文化功労者として顕彰されました。さらに2017年には文化勲章を受章されました。今年87歳になられます。

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上の写真は式典終了後に記念撮影をさせていただきました。

私は奥谷画伯とは、宿毛市や東京で何度もお会いしており、また、作品は高知県宿毛市の展覧会で何度か見ておりますが、少年時代の絵は初めて見ました。

下の写真は展覧会「奥谷博ー無窮へ」の公式図書兼書籍として刊行された書籍の「宿毛時代の作品」と題するページの作品集で、左上の絵は小学6年生の時の作品だそうです。

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下の写真は式典終了後の奥谷画伯の講演会で、上の絵を説明しています。
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この講演会は1時間ありましたが、先生の絵の説明が大変興味深く最後まで聞かせていただきました。

その話の一つは、奥谷画伯が宿毛高校を卒業する昭和27年当時は画家になっても食べていけない時代で、進路相談にのってくれた高校の先生は、東京藝術大学は止めて法学部へ行って弁護士になりなさいと言われたそうです。

しかし、父も、幼い頃に亡くなった母親代りで絵の先生でもあった18歳年上の姉をはじめ、家族の誰一人東京藝術大学を受験する事に反対の声もあがらす、2年浪人した後で東京藝大に入学出来たそうです。

それ故に奥谷画伯は、いつも家族に対する感謝の言葉を話されます。

また。その姉上の死に際し描かれた「月露」と題する作品は、神戸市での展覧会後、次の展覧会場である松山市から、作品は直ぐに送って欲しいとの要請があり、当初の予定を早めて送った直後に阪神・淡路大震災があり、奇跡的に被災を免れた、との話があり、作品には運命のようなものがあると話されました。

(下の写真がその作品で、先に紹介した画集から撮影しました。)

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画集での画伯の説明には「作品には運命のようなものがあり、姉に見守られていたような気がした。私の画家としての転機となった1点である。」とあります。

下の写真左は宿毛市の中平富弘市長です。
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