台湾訪問 その2最終章

台湾訪問3日目は台湾南部にある、八田與一の造った烏山頭ダムを訪問した。

このダムは2019年に、自民党参議院議員の同期の皆さんと一緒に訪れて以来4年ぶりの訪問であった。

高鐵(新幹線)台北駅を8時21分発、嘉義駅 9時48分着、嘉儀駅からタクシーで約50分、10:40分頃に烏山頭ダム公園に着いた。下の写真が八田與一の像とご夫妻のお墓です。

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このダムの建設経緯について記すと、

八田は大正7年(1918年)、台湾総督府に命ぜられて台湾南部の嘉南平野の調査を行った。

嘉義・台南両庁域も同平野の区域に入るほど、嘉南平野は台湾の中では広い面積を持っていたが、灌漑設備が不十分であるためにこの地域にある15万ヘクタールほどある田畑は常に旱魃の危険にさらされていた。そこで八田は官田渓の水をせき止め、さらに隧道を建設して曽文渓から水を引き込んでダムを建設する計画を上司に提出し、さらに精査したうえで国会に提出され、認められた。

この事業は、総工費5,400万円、満水面積1000ha、有効貯水量1億5,000万m3の大貯水池・烏山頭ダムとして完成し、八田與一は完成に至るまで工事を指揮した。

また水路も嘉南平野一帯に16,000kmにわたって細かくはりめぐらされた。前回行った際に、新潟県と同じ面積の田畑が出来た、との説明を受けた。

この水利設備全体が嘉南大圳(かなんたいしゅう)と呼ばれている。

その後、八田與一はフィリピンへ農業指導者として派遣される途中の昭和17年5月8日、長崎県五島列島沖で輸送船大洋丸が米国潜水艦の雷撃で撃沈され行方不明となったが、翌月の6月10日、山口県の萩沖で出漁中の漁船に発見された。衣服をつけて白骨化していたが、内ポケットの名刺入れに八田の名刺があった。

妻・外代樹(とよき)は2男6女を残し、9月1日烏山頭ダムの放水口に入水自殺した。

この日も沢山の台湾人の団体観光客が訪れていた。

大石県議はここでもiPhoneGoogle翻訳ソフトを使って台湾の人達との交流をしてました。(下の写真)

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そして偶然、八田與一の故郷である石川県金沢市金沢学院大学附属高校の高校生が、修学旅行でしょうか、大型バス数台で訪れレストランで昼飯を食べてました。