昭和17年7月から18年1月にかけてニューギニアのポートモレスビー攻略作戦を戦ったのは、高知で編成された歩兵第144連隊を主力とし、広島県福山市の歩兵第44連隊、大阪で編成された独立工兵第15連隊であり、南海支隊と呼ばれた。
私はその南海支隊戦友遺族会の特別会員となっている。
お父さんが独工15連隊に所属して生還し、戦後は戦友・遺族会のお世話を続けた関係から、この遺族会の事務局長を務める和歌山県高野山の宮大工である辻本喜彦さんから連絡があり、この南海支隊に軍属として協力した台湾の高砂族の子供さん達と連絡を取れており、その家族に会いに行かないかとのお誘いがあり同行した。
高砂族は山岳民族で、裸足でニューギニアの山中を駆け回って日本軍に食料を運んだそうです。
メンバーは、辻本喜彦さん、高知県議の大石宗さん、福山市議の大田祐介さんと私の4人だ。
訪問先は、台湾南部の高雄の東にある屏東県來義(リイイーと発音する)という小さな村であった。
下の写真が来義の村、
高雄までは高鐵(台湾の新幹線)で約2時間、そこで在来線に乗り換えて1時間弱で潮州駅着、(下の写真は潮州駅前で大石県議と)
そこからタクシーへ乗り、約20分で目的地の来義に着いた。午後12時40分になっていた。
ここでは王さん3姉妹が待っていてくれた。
辻本さんは28年ぶりの再会だ。(下の写真、前列左から2人目が辻本さんで、その両側の3人が王姉妹)
三女の王梅珠(日本名・野口梅子)さんの散髪屋だ。
王姉妹の父上は林徳政さん、日本名は野口太吉さんで、この方が南海支隊の軍属としてポートモレスビー攻略作戦に従軍した。
その娘さんが、長女・王花菊(日本名・野口花子)、次女・王桂馬(日本名・野口キヌ)、
辻本さん達は、28年前にこの地で、戦没者慰霊祭を行ったそうで、その時の写真も見せていただいた。
大石県議はiPhoneの「Google翻訳」ソフトを使って会話をする。また、王さん姉妹もこれを自由に使って会話をする。
中国語(台湾は北京語が標準語、台湾語も使う)が出来なくても会話が出来る、便利なもんだ。
下の2枚の写真は、この店に飾ってあったパイワン族の写真です。
王さんの親戚が経営する、近くのレストランへ行き昼食をとる。
昼食後は、近くにある日本が作った貯水池と用水路を案内してくれた。日本と同じ綺麗な水が流れ、小魚がたくさん泳いでいた。
この貯水池と用水路は、大正7年から数年かけて日本が造ったものだそうです。このおかげで、耕作地と飲料水の確保、洪水対策に役立っているそうです。
これが、台湾で今でも日本が尊敬されている理由です。それに加えて高砂族は大東亜戦争後に入ってきた蒋介石の国民党軍から弾圧されているので、ことさら親日感情が強い。
王さん姉妹のうちの1人は、観光旅行で日本に5回も行ったと話してました。