アメリカ旅行記H25 その3

21日(木)雨
ラスベガスにしては珍しく朝から雨が続く、午前9時30分に上林がホテルへ迎えに来てくれ、上林の居候している家へ行く、車で15分ほどで空港近くの閑静な住宅街に着いた。前回はこの家に居候の居候をした。
上林の家で洗濯をしながら、パソコンがあまり得意ではない上林に代わって昨日のモニュメントバレーでの乗馬中の写真をパソコンに転送する。
近くのアウトレットに行き買い物、ここは広い、昼飯は最近出来たというラーメン屋に行った。
ここのコックは30歳代の日本人の男性、二人の女性従業員も日本人で、日本語で接待している。
コックの手付きを見ていると、日本で相当修行した上でこちらへ来たのではないかと想像できる。ラーメンもギョウザも相当に美味い。上林も味を絶賛する。
客も次から次へと日本人が入ってくる、コックに有難うと礼を言って店を出た。
食後は射撃に行く、家の近くに「マシンガン・ケリー」という店が出来たので覗いてみようと言って入ったら銃砲店であった。名の通り重機関銃や、マシンガンを飾ってあった。
私は十年以上前から散弾銃によるクレー射撃をやっている、ここ数年は宿毛の射撃場が閉鎖したので高知射撃場へ通っていたが、忙しくてその足も遠のいた。
麻生大臣がオリンピックへ出場したのは、クレー射撃のスキート競技、クレーが横に飛ぶ、私がやっているのはクレーが前に飛ぶトラップ競技である、先月3年ぶりに撃った。
ラスベガスでは拳銃射撃だ、射撃場の場所を聞き午後2時頃、ホテル街の近くの射撃場に行った、なかなか綺麗な射撃場だ。前に行った射撃場も繁華街にあった、そこもきれいな射撃場であった。

弾の値段は38スペシャル50発で26ドル、使用料20ドル、的紙1ドルを含めて47ドルだ。
4年ぶりの拳銃射撃だ、年のせいで視力が変わり、的はよく見えるが照星と照門がボヤける。
それでも愛銃のスミス&ウェッソンM10を、7ヤードから10ヤードの距離でダブルアクションで撃って、弾着は人型の的の9点の円内にほとんどが纏まった。(射撃が好きな人でないと分からない単語が続くので解説すると、M10はレンコン型の弾倉を持つ6連発リボルバー銃で、撃鉄を起こさずに引金を絞るだけで撃つのがダブルアクションだ。)
今回は熱意もなく、9ミリ口径オートマチックのグロッグ17を撃つ事もしなかった。
今日の晩飯は朝鮮焼肉店、ここも中華街にある、店の名は「矢牛」。
女性従業員は二人とも日本人で、日本語で応対している。
店内の貼り紙もすべて日本語だ。日本人客が多い証拠だ。
肉の出し方も日本風、経営者は韓国人か日本人であろう。
肉も美味く、カルビ、ロース、レバーをビールを飲みながら食べて、二人で7千円弱だ、こちらではこんなもんだ。日本の約半額。

22日(金)ラスベガスからロス経由ホノルル行き
昨夜、西岡県議から県連に離党届けが提出され、その対応で高橋事務局長や桑名県議と電話連絡、こちらは深夜、それからあまり寝られないままに午前6:30になったので起きて荷造り、7:30上林が迎えに来てくれてホテルを出発、ユナイテッド航空は第三ターミナルだったが、間違えて第一ターミナルに行き再度車は空港を回った。
空港内のスターバックコーヒーで朝飯にしたが、不味いハンバーガーとコーヒーで8ドル50セント、上林が支払ってくれたが、彼もスターバックは不味いと言っていたが、本当にアメリカ人の味覚は鈍である。
ラスベガスは空港の中までスロットマシンが置いてある、私は今回もやらなかったが、スロットマシンもカードで決済となっており、昔のようにコインが出るジャラジャラ音がなく静かで物足りない。、

10分遅れの10:02分ラスベガス空港を出発したが、滑走路で待ち、10:20分離陸、
11時20分ロス空港着、15分遅れだが私はハワイまで乗るので関係ない、一旦飛行機からは降りたが、再度乗って12:52ロス空港を出発する予定だ。
ここで大失態、航空券はラスベガス・ロサンゼルス間とロサンゼルス・ホノルル間の二枚だが、同じ飛行機だと聞いていたし、座席番号も同じ2Eなので乗り換えの際、ポケットに財布とパスポートを入れ、後の携帯電話やホテルの申込書、ハワイ・成田間の航空チケット、スーツケースのカギなどを入れたバックパックは機内の棚に置いたまま出てきた。
一旦は飛行機から出たが、バッグパックを持っていた方がよかろうと気付き、飛行機の側で乗客が降り終えるのをしばらく待っていた。
しかし、降りる客の中に簡単な手荷物しか持っていない人もいたし、無理に機内に入ろうとして荷物棚を見たら幾つか荷物も残っていたので、私と同じく荷物を置いて降りる客もいるのだろうと勝手に解釈して飛行機を降りた。
出た場所でipadを使ってこの旅行記を書いていてふと気付くと、このゲート70aはシカゴ行きになっていた。
どうもおかしいなあと思いつつトイレに行き、帰って登乗ゲート近くにいた要介護者の世話をしていた女性に航空券を見せ、英語で、ここはホノルル行きではないのかと聞くと、ホノルル行きは搭乗案内用のテレビで確認せよと言うので確認すると73ゲートとなっている。
あたりに日本語のわかる職員は一人もいない。
すぐ近くのゲートに飛行機が移動する可能性はあまりない、不安が広がった。
73ゲートに行き、同じ飛行機かどうかをカウンターの空港係員に聞くのを待っている内に73ゲートで搭乗し始めたので搭乗口を入った。
不安になりながら飛行機に入ると前の飛行機ではない。同じ2Eの座席に着いたら荷物棚に置いてあったバッグが無い。
2人いたキャビンアテンダントに聞いたが私たちでは分からないので、一旦飛行機を出て係員に聞けという。一挙に不安になった。
預けたスーツケースが目的地に着かない事は時々あると聞く、日本人なら気を利かせて棚にあるバックパックを移し替えることもあろうが外国人にそれを期待するのは無理だ。このままではホノルルでホテルにも入れないし、ホノルルで合流する予定の中山さんに電話も出来ない、慌てまくる。
慌てて引き返し、73ゲートのカウンターにいる男性職員に必死で説明したが英語力の不足で、彼はホノルルで荷物は受け取ることができると言う。
そんなはずはないだろうと機内に置いてきたデイバッグだと再度聞き、どこで受け取ることができるか必死で聞いた、すると降りた70aゲートへ行けと言う。
70aゲートに2人の職員がいたが、分からないいと言うので再度説明すると隣のカウンターを指差す。あった!俺のデイバッグがカウンターの上に置かれていた。
この間日本語の通じる職員は一人もいなかった。いやあ、あせりまくった、座席に着いたらノドはカラカラ、どっと疲れた。
乗り継ぎの際は必ず自分の荷物は持って降りること。

12時52分ロス空港発予定が10分遅れで飛行機は動きだしたが滑走路で待たされ、離陸したのは13時30分頃であった。
17時15分ホノルル空港着、ロサンゼルスとの時差がマイナス2時間あるので飛行時間は実質5時間程だ。日本との時差は19時間である。
ホノルル空港には荷物受け取り場所に日本人の女性職員がいて親切に教えてくれた。
空港からホテルまでの車は、若い女性がミニバスの客を引いていたので申し込む、日本語は分からないが、この女性が帰りとセットで申し込むと安くなるという、帰りの便を伝えると午前8時30分にホテルに迎えにきてくれるというので申し込んだ、往復で29ドル、これは便利だ。

23日(土)野球大会観戦
午前6時過ぎにホテル隣接のスタンドで朝食、肉だと思って注文したらサーモンバーガーであった。6ドル50セント、コーヒーとセットで約10ドル。

7時にタクシーをホテルに呼んでおり、6:55分にホテルを出たら10分足らずで愛媛県の父兄が泊まっているクイーン・カピパラホテルに着いた。(8ドル+チップで10ドル)
ロビーで待っていると中山昌幸君がおりて来た。
バスは7:35分にホテル発、8:10には会場であるセントラル・オアフ・リージョナル・パークに着いた。

広い、戒能県議の話では野球場だけで20面あるという、中学生チームの試合場の内野は芝生である、日本では珍しい。
愛媛県ハワイ州は親善試合が始まった二年後の10年前に姉妹都市になっており、今年はその契約の再延長の儀式も昨夜あったそうで、議会派遣の公式行事となっており、愛媛県から中村時広知事、県議会から、この大会の世話人である戒能潤之助議員、河野県議会副議長、西原県連幹事長、赤松県議、福良県議が出席し、中学生チームの開会式、試合は1回の裏が終わった時点で次の行事に移動した。
また、宇和島市とホノルル市も姉妹都市になっているそうで、宇和島市長や市議会議長など10人ほどが参加していた。


試合は小学生と中学生の交流試合は一勝一敗ずつで引き分け、高校生は日本からの参加者が7名で(内2名は高知県の高校生)合同チームで試合を行ったとのこと、高校生は高野連の関係で難しい面があるそうだ。
終了後はハワイの保護者の皆さんと、ハワイ州衆議院名誉議長のカルビン・サイ議員主催のバーベキューパーティーで盛り上がった。
来年は松山市で開催予定だという。
一行は近くのアウトレットで買物するというが私はバスでホテルまで送ってもらう。
バスの中で戒能県議と宇和島市でクアライフ宇和島を経営する三浦社長と様々な話をした。
16:30頃か、ホテルに入り一眠り、本当に疲れた、腰が痛い。
18:30頃から散歩がてら街に出て土産のTシャツなどを買う。
夕食は腹が減ってないのでホテル近くのABCストアでビールとツマミのナッツ、インスタントラーメンなどを買ってホテルでくつろいだ。
11月24日(日)7時前に目が覚めた。昨夜はぐっすり眠れ、快調な朝を迎えた。ホテル前のコンビニで朝飯を買う、コンビーフのサンドウィッチが5ドル、カゴメの野菜ジュースが3ドル、果物セットが5ドル合計13ドルの朝飯、高い。
8時10分ホテルのロビーに降りチェックアウト、スピーディーシャトル社のピックアップを待つ、この旅はトラブルがあったので本当に迎えが来るか少し心配である。8時27分スピーディーシャトル社のミニバスが到着して一安心、私一人である。途中で三カ所のホテルに寄り7人が乗車、9時にANAの出発カウンターに到着、ビジネスクラスは並ぶ人数が少ないので楽だ、スンナリと終了。
身体検査もゴールドレーンというのがあり、すんなり入れた。
検査も靴は脱がされるがラスベガスほど厳しくない。
7番搭乗口に行く、ここまでが遠い、大汗をかいた。
9時40分、7番搭乗口に着きこの文章を書いている。
10時45分定刻より早く滑走開始、11時02分に離陸した。
成田は現地時間午前6時08分で19時間の時差があり、成田到着は午後2時30分、飛行時間は約8時間22分との放送があった。
6時間程だと思っていたが予想以上だ。
今回の旅行記も食事等の値段を出来るだけ書いた、これで1ドル100円が高いか安いか一つの目安になる。
アメリカの物価は日本のそれと比べて4年前より確実に上がっていると感じた。