蘇嘉全・立法院院長を表敬訪問

11日(木) 10時30分立法院を訪れ、蘇嘉全(Jia-chyuan Su) を表敬訪問した。

訪問は、古屋会長が前の会合でのスピーチの関係で少し遅れて参加するしたので、初めは蘇嘉全院長の歓迎の挨拶で始まった。

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台湾は5院制をとっており、立法院中華民国の建国者である孫文の「五権分立」理論に基づいて、行政院・司法院・考試院・監察院とともに成立した一院制の立法機関である。

立法院に所属する議員を立法委員というが、現在の総員は113名、うち与党・民主進歩党が68名いる。

そのうち小選挙区73、原住民6、比例代表・海外華僑代表34、任期4年だ。比例代表の34名は各党とも半数以上は女性でなければならないと定められている。

院長は議長で、他に国民党の国対委員長のジョニー・チャン議員、少数政党の親民党の李鴻鈞議員も同席した。

古屋会長の飛行機の便に合わせて、時間を繰り上げて昼飯会が始まった。

場所は立法院の12階の部屋、李鴻鈞議員は参加したが、李氏は日大に留学して日本の会社に勤めていた関係で日本語がペラペラだ。息子さんの1人も日本に留学しており、日本に家も持っているほどの親日家だ。

意見交換会は和気あいあいのうちに、日台関係はもちろん上記の立法院の構成や来月の総選挙などの話で盛り上がった。

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こな墨絵は蛍光灯の光が邪魔して良く見えないが、国宝級の絵で、時価数億円だそうた。そんな絵をこんなところに飾ってあるのは日本では考えられない。

これで、訪台日程は終了、私は国慶双十節の際の訪台団に参加したのは初めてだが、過去に何度も実施されている。

古屋会長は、今回のように盛り沢山の内容の訪問は初めてだが次もこんな内容で訪台したいと話していた。

こういう与野党を問わず参加している日華議員懇談会をとうしての日本と台湾の交流は大切であると思う。今後も参加するつもりだ。

 

忠烈祠で献花

10日(水)14時20分、台北市戦没者慰霊碑、忠烈祠に全員でお参りをした。

ちょうど衛兵の交代式をやっていた。

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中に初めて入った、「國民革命烈士之霊」と書いたものが中央にあり、40万1千人の霊をお祀りしているとの説明を受けた。

古屋会長が代表して献花(下の写真中央の花)をした。
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(追記)国慶双十節記念式典

総統府で1時間ほど時間待ちした後、1人ずつ蔡英文総統に挨拶した、総統府前広場の式典会場に座った。

初めに後陸海空三軍の国防部聯合楽隊の行進

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続いて国防部三軍儀隊(儀仗隊のこと)の行進、

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最後が憲兵白バイ隊の行進

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この式典は立法院の主催で、初めに蘇嘉全立法院院長の演説があった。

その後、蔡英文総統が登壇して演説を行った。
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その内容は、現在の米中貿易摩擦を踏まえて、「中共に対する台湾の対応の道は「安定を求め、変化に対応し、進歩する」こと。

有効な対応戦略は強い国力を育てることにあり、現下の最重要任務は①国家安全保障の強化、②経済実力の強化、③ソーシャル・セキュリティー・ネットワークの強化。国家を堂々たるものとし、台湾を国際的に不可欠な存在とすることが、台湾を永続的に生存させる基礎。」との力強い内容であった。

演説の後はパレード、民間団体の最初はアジア大会の入賞者だ、その後パレードが延々と続いた。

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12時30分から総統府で蔡英文総統主催の昼食会、1時間以上の時間をとって頂き、活発な意見交換があった。

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私の隣は日本維新の足立康史衆議院議員、昨夜の懇親会も隣同士でお友達になりました。
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最後は全員が蔡英文総統とツーショットの撮影をして終わった。

台湾の国慶雙十節式典に参加

9日(水) 午後の航空機で台湾へ行き、15時台北松山空港着、我々は日華議員懇談会としてこの日3組に分かれて台北に着いた。古屋圭司日華懇をはじめ与野党合わせて総勢24名の国会議員が参加しているそうだ。

午後4時から、台湾に進出している日本企業の関係者と、現地の商工会議所で意見交換会

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この団体は台北市日本工商会と言い、1971年の設立、法人476社、個人の準会員が33名だそうだ。

理事長は台湾三井物産の大橋悟氏、常務理事が台湾三菱商事、台湾丸紅、台湾資生堂で、理事は台湾住友商事、台湾伊藤忠、台湾大塚製薬など18社、商社が主導になっているようだが、製造会社も多いそうだ。意見交換会では鹿島建設の方も答弁をしていた。

台湾の経済状況はきわめて好調だという話であった。しかし、少子高齢化は日本と同様で人手不足の話や、高齢者福祉たいさくの話が出た。

夜は台湾日本交流協会の邱義仁会長主催の夕食会に参加した。

邱会長とは昨年も交流協会を表敬訪問してお会いしている。

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(上は昨年の写真)

古屋会長から、邱会長は今月台湾サッカー協会の会長に就任したとの紹介があり、木原稔事務局長の計らいで、日本サッカーチームのユニフォームが贈呈された。

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邱会長はご本人もサッカーをやっていると話していたが、このユニフォームがよほど気にいったらしく最後まで着ていた。

今日は総統府に来ており、午前10時から記念式典に参加する。

 

 

ICPOの総裁は中国人だった、中国政府に拘束された。

国際刑事警察機構(ICPO)通称インターポールの総裁に中国人の孟宏偉(メン・ホンウェイ)なる方が就任しており、さらに、数日前から、中国に帰った途端に消息不明になったとのニュースが流れていたので、汚職で拘束されたのだろうとは思っていた。

先ほど調べたら2年前から総裁に就任している。法治国家でない中国人を総裁にしてどうするの。

欧州各国が中国を全く理解していない事をあらためて再認識させられた。

NHKニュースで流れているところでは、6年前に逮捕されている周永康の部下だったという。

ICPOという組織がどうなっているのか詳細はわからないが、もう少しまともな組織だと思っていたので、がっかりしております。

「大人の見識」「背中の勲章」

以前は時々このブログで書評を書いていたが、久しぶりに書きたいと思う本に出会えた。

阿川弘之さんの「大人の見識」(2007年11月初版、新潮新書)と

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吉村昭さんの「背中の勲章」(昭和46年初版、新潮社)だ。

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両氏の本は結構読んでいるのだが、この2冊は初めて読んだ。

阿川さんの本は国会内の本屋で見つけ、吉村さんの本は友人からもらった。

「大人の見識」は阿川弘之さんが86歳になって書いた本だ。

この本は日本人の見識、英国人の見識、東洋の叡智、西洋の叡智、海軍の伝統などに分かれて書かれている。

阿川氏の日本の近現代史に関する認識には全面的に賛成ではないが、この本に書かれている大東亜戦争開戦前と終戦に関する認識には大いに納得出来る部分がある。

私は、この本は多くの人に読んでもらいたいと思う。

「背中の勲章」は米軍の捕虜第2号という中村末吉さんという日本海軍の下士官が、昭和17年4月に捕虜になり、昭和21年に復員した後までをたどるノンフィクション小説である。

昭和17年4月18日に、ドーリットル率いるB25爆撃機の編隊が、空母ホーネットを飛び立ち、東京を始め日本各地を初めて爆撃した。

この爆撃機隊を発進させた米海軍機動部隊は、日本のはるか東の太平洋上で漁船を徴用した日本海軍の何隻かの監視船に発見された為に、爆撃予定を早め、昼間爆撃となったこと、それを発見した監視船の一隻は日東丸であり、その後全員戦死したことは知っていた。

ところが、その日この米海軍機動部隊を発見したもう一隻の長渡丸は、艦載機の爆撃などを受け10名が戦死、5名が捕虜となっており、その内の先任が中村末吉さんである。

この本には「生きて虜囚の辱めを受けず」という教えが、日本軍人の心の中に深く浸透しており、その為にいかに多くの兵士が自ら命を絶ったかが書かれている。

この教えを作った東條英機は、終戦後、拳銃自殺しそこねて生きながらえ、今でも批判されている。

東條英機東京裁判では、その主張が評価され、それを元に人物像を見直す見方もある。

しかし、私は陸軍首脳、総理大臣としての東條英機の判断は全く評価しない。

これまでも何冊か捕虜になった兵士を書いた本を読み、日本と米国、英国、独国等との、捕虜に関する考え方の違いに、このような悲劇を繰り返してはならないと思ってきたが、何でこのような考え方を押し付けたのか未だによくわからない。

負傷して、人事不省となって捕虜となった兵士、刀折れ、矢尽きるまで全力を尽くして戦った兵士は、捕虜となっても誇りを持てと何故教えられなかったのだろうか。

この本にも、特殊潜航艇で真珠湾攻撃に参加して、人事不詳で捕えられた酒巻少尉も出てくる。

この方を書いた本は何冊か読んだ。

戦後は日本の自動車会社に就職され、確かブラジルで長く暮らされたと承知している。

間違った教えで、有能な人材を自殺に追い込むような悲劇は繰り返してはならないと痛切に思う。