高知県ニューギニア戦域戦没者慰霊祭に参列

21日(日) 中谷元代議士の国政報告会の乾杯が終わった後、高知県護国神社へ行き、高知県ニューギニア戦域戦没者慰霊祭に参列した。

昨日のフィリピン戦域戦没者慰霊祭に続いてこちらも二年ぶりの参加、昨日のフィリピン会より参列者が少ないのが意外であった。

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慰霊祭終了後の記念撮影、私は右端、その隣は高知県傷痍軍人会長、97歳だそうだ。その隣は大石宗・元高知県議、その隣が和歌山県高野山から参加した南海支隊戦友遺族会の辻本事務局長。

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私はこちらも遺族ではないが、ニューギニアポートモレスビー攻略戦を戦った、高知で編成された歩兵第144連隊を中心とした南海支隊の生き残りであった西村幸吉さんの事を書いた「ココダの約束」を読んで、南海支隊戦友遺族会の特別会員となり、ニューギニアの慰霊巡拝へ2度行った。

この本はオーストラリア人が書いて日本でも反響を呼んだが、オーストラリアでは西村幸吉さんの戦いは中学生・高校生の教科書にも載っているそうだ。

南海支隊は当時、大本営の直轄部隊で日本版の海兵隊であった。

西村さんはこの部隊でポートモレスビー攻略戦を戦い、銃弾を受けて重傷を負ったが生き抜いた。

戦後60歳を過ぎてから、家も家族も会社も投げ打ってニューギニアへ移住し、20年以上にわたって戦友のご遺骨を拾い続けた。

埼玉県加須市に住んでいた西村幸吉さんも三年前にお亡くなりになり、この日は加須市から娘さんの幸子さんが参加した。

慰霊祭の後、高知市内の居酒屋「十刻」で南海支隊戦友遺族会の懇親会があり、西村幸吉さんの娘さんである幸子を交えて盛り上がった。

下の写真は終了後の記念撮影

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中谷元衆議院議員の高知国政報告会

21日(日) 中谷元衆議院議員の国政報告会が高知市内のホテルであり参加した。

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来賓祝辞は尾崎正直高知県知事
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国会議員は山本有二衆議院議員公明党石田祝稔衆議院議員、中西祐介参議院議員高野光二郎参議院議員と私が出席して祝辞を述べた。
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県会議員も沢山出席して土森県議会議長が乾杯の音頭をとった。
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高知県フィリピン戦域戦没者慰霊祭

20日(土) 午後1時から高知県護国神社の石碑前で、高知県フィリピン戦域戦没者慰霊があり参列した。

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下の写真は奉納の舞い
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(次の写真はお礼の挨拶を述べる高知県フィリピン遺族会の竹内会長)
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この地域での高知県戦没者は4千9百余柱、フィリピン戦域は海戦も多く、日本人戦没者は53万柱と聞いた。

私は遺族ではないが、十数年前の県議時代、当時高知県遺族会会長であった依光隆夫県議にお願いしてフィリピンへの慰霊巡拝の旅に参加させて頂いた。

ルソン島のマニラから出発し、山下奉文大将が最後まで戦った北部へ向かいバスで移動しながら、各地で慰霊祭を行った。

私にとって、大東亜戦争はそれまで歴史の上の事であった。しかし、この慰霊の旅で遺児の方々が父親が戦没した地で「お父さーん」と叫ぶ姿に心を打たれ、遺児の方々にとって戦争は今も続いている事を知らされた。

1週間かけてルソン島北部を回り、最後は南部の日本人戦没者慰霊塔をお参りした。

舗装してあるとはいえ日本とは全く違う道路を、オンボロバスに揺られて身体中が痛かった。

その数年後、今度は高知県遺族会フィリピン会長からお誘いを受けてもう一度フィリピンを訪れた。

この時はバスも前回より少しは新しくなり、ルソン島のより北部へ行くことが出来た。

慰霊祭の間、その時の事を思い出しながら、同行した遺族の皆様の事を思っていた。

今回は百名以上の方々が参加されていた。

戦後73年が経ち、遺児の方々も70代後半だ、孫の世代が活動し始めたが、いつまで慰霊祭が続けられるのだろうかと思った。

高速道路の県東部への整備促進大会へ参加

19日(金)午後5時30分から、高知県安芸市のホテルで四国8の字ネットワーク整備促進四国東南部連盟の整備促進大会懇親会に出席した。

一部では、最近まで国土交通省道路局長を務めていた石川雄一氏の講演があったが、私は懇親会のみに参加した。

地元の中谷元衆議院議員は最初から参加、高知県東部の自民党県議、市町村長も参加していた。

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私は懇親会冒頭の祝辞の中で、高速道路延伸が出来るかどうかは地元の熱意だ、来月17日に開通予定の県西部、窪川・土佐佐賀間の片坂バイパス事業化を例に出して話した。

中谷代議士を先頭に、私も共に活動することを話した。

 

高知県少林寺拳法連盟祝賀会に出席

14日(日)12時から、高知市内のホテルで高知県少林寺拳法連盟設立50周年記念祝賀会に出席した。

宗由貴・少林寺拳法グループ総裁、少林寺拳法連盟の川島一浩会長、尾崎正直高知県知事が祝辞を述べた。

下の写真は川島会長

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高知県連盟副会長の三石文隆県議は国士舘大学少林寺拳法部のOBです
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尾崎正直高知県知事
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懇親会では、高知県内だけではなく、四国四県の少林寺拳法の指導者の皆様と旧交を温めた。

第2部の懇親会は高知県連盟の大石理事長の挨拶から始まった。(下の写真)

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下の写真は本山の山崎博通先生、中央大学少林寺拳法部の大先輩です。
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下の写真は金剛禅総本山少林寺代表の大澤隆氏
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下の写真の真ん中の方が宗由貴総裁
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下の写真、清遠真司・香南市長は立命館大学少林寺拳法部のOBです。
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四国内の道院の取りまとめ役(総代)であった小野芳洪・愛媛県理事長は中央大学少林寺拳法部の大先輩です。
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いつも愉快な池本さん
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宿毛高校関東同窓会に出席

13日(日) 午後2次会から宿毛高校関東同窓会にお誘いを受けて出席した。

私は卒業生ではないが、地元の高校なので以前から知人がおりお誘いを受けていた。今回から会長が私と同い年の藤浦さんから、一つ上の高木三千年に交代した。

両氏とも参議院議員になってから東京でお酒を飲みながら歓談しており、とりわけ高木さんは小筑紫中学校の私の1つ先輩で、中学校の時から知っている方であり参議院議員になってからは何回も一緒に飲んでいた。

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会場は神田淡路町のホテルのレストランで、こんな和気あいあいとした雰囲気であった。最年長は一期生の山本さん、乾杯の際の自己紹介で87歳になると話されていた。名古屋市在住の私の叔父も一期生なので話をしたら知っていた。

宿毛高校の谷脇校長が母校の近況報告があり、私も挨拶の機会をいただいた。
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上の写真は箸ケン大会、真ん中の行司役は世界七十数ヶ国を旅した旅行作家の森田勇造さん、昭和15年生まれだ。

森田さんの話では箸を使った箸ケンは宿毛が発祥の地との事でした。

鹿児島県から宿毛へ伝わったことは知っていたが、元々中国の船乗りが鹿児島の船乗りに伝えたのは指を使った競技であった事を初めて知った。
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上の写真、右隣は自衛隊の防衛ホームズ新聞を発行している所谷さん、その右は土佐清水市出身で中村高校OBの石丸さん、私の従妹の友人で、昨年関東高知県人会で知り合った。

他に私の親戚も来ており、楽しい会であった。