ホルムズ海峡問題

7月12日のブログで、自衛隊を派遣するかどうかについて、まずは外交努力だと書いた。

その後、昨日(5日)開かれた自民党政調会外交、国防部会の合同会議への提出資料について外務省職員が会館事務所へ説明に来たので私は、

「まずは日本とイランとの良好な外交関係を継続すべきだ。攻撃したのがどこの勢力か分からない現状では有志連合への参加は慎重にすべきだが、日本の船舶を守る為に自衛隊は派遣する必要があるので、法的課題、派遣できる部隊について早急に検討すべきだと思う。5日の政調会ではその旨の発言をする。」と話した。

この日は参議院本会議が12時過ぎまであり、事務所で打ち合わせの後に25分遅れて会議に出席した。

多くの議員が出席し、自衛隊派遣を巡って積極論と慎重論が発言された。

私は皆さんの発言を聞いていて、私と同意見もいくつかあったので発言しないで退席した。

外務省の説明では、米国は7月19日、25日、31日に有志連合の説明会を開いたが、「有志連合」という言葉は使わず、「海洋安全保障イニシアチブ」という言葉を使った。

7月20日にポンペオ国務長官は「(その目的は)防衛のためであり、国際的な航路を開いておき、また、(19日に発生した)英国タンカーの拿捕のような脅威を減らすためのものである。」と述べた。

今朝の産経新聞には一面で「自衛隊ホルムズ独自派遣、政府検討 哨戒機で情報収集」との見出しが出ている。

海上警備行動を発令して自衛隊を送るべきだとの意見があった、法的に可能であればその方法が良いだろう。

独自派遣に賛成だが、(有志連合)が実際に動き始めた時に連携を取るかどうかの課題が残る。

守る船舶は日本船籍のみならず、実質的に日本の船は全て守るべきだと思う。

 

自民党の戦没者遺骨帰還に関する特命委員会に出席

5日(月)午前8時30分から自民党本部で戦没者遺骨帰還に関する特命委員会が開かれた。

はじめに厚生労働省から議題である、議員立法平成28年3月に成立した「遺骨収集推進法」に基づいて作られた「戦没者の遺骨収集の推進に関する検討会議中間取りまとめ」の報告があった。

私は開会直後に入室したが、報道のテレビカメラが冒頭撮りに入っている事について、尾辻秀久委員長から自民党職員に対して、誰が許可したのかと強い怒りの発言があり、テレビカメラを退室させた。

私は尾辻委員長の怒りの意味が分からなかったが、会の最後に尾辻委員長から閉会の挨拶の中で次の発言があり、納得した。

尾辻委員長は「この挨拶が感情的になるのを許して頂きたい。私も水落議員も親父を戦争で亡くした。

戦後、戦没者遺族の家にはその旨の表示がなされ、戦犯だと批判された。

そして尾辻委員長の家には石が投げ込まれ、何度かガラスが割られた。それを煽ったのはマスコミだ。

戦後初めてサイパン島テニアン島に遺骨収容に行ったが、テニアン島の海岸は(日本兵の)遺骨だらけであった。

この時は全て自らの費用で行き、政府からは何の援助もなかったし、マスコミは戦友・遺族が遺骨収容に行った事は全く報道しなかった、今さら何だ。」

と強い怒りの発言があり、それは私の心に強く響いた。

尾辻委員長がテニアン島へ初めて行ったのが何年かは分からないが、中間とりまとめ報告書によると、政府派遣団による遺骨収集事業は昭和27年度から始まり、昭和32年度に一旦概了とされた。

政府事業概了後も、遺族や戦友による独自の遺骨収集活動が継続され、日本が豊かになって海外旅行者が増えた事により、旧戦域で遺骨が発見されたとの情報が多く寄せられた状況を踏まえて、昭和42年度から47年度まで第2次の遺骨収集事業が行われた。

さらに昭和48年度から昭和50年度まで、第3次の事業が行われた。

その後も政府により、これまで相手国の事情等で遺骨を収容できなかった地域でも、新たに収容が可能になった地域等について、継続的な遺骨収集が実施されている。

最初の頃は南方の島々では多数のご遺骨が散乱していたとの話は聞いていた。

私は遺族ではないが、高知県遺族会の皆様と共にフィリピンへ2度、南海支隊戦友遺族会の特別会員として東部ニューギニアへ2度慰霊巡拝に訪れた。

現地で日に何度も行われる慰霊祭は、遺族の皆様にとって戦争は終わっていないということを痛感させられる。

戦没者を慰霊する事の大切さは、大正12年生まれで、日本海軍の主計兵士として従軍し生還した父・兼行から聞かされた影響である。

父は国のために戦い、死んでいった故郷や海兵団の戦友の事をよく話してくれた。それが自然と戦没者を尊敬する私の心を形成した。

若い時にできれば遺骨収容にも行きたかったが実現出来なかった。

この会では、この法律を作る中心となった何人かのベテラン議員から、中間報告書を作った厚生労働省の官僚に対して強烈な反対意見が表明された。

ご遺骨の収容に対する真剣さが足りないという批判である。

私は南海支隊戦友遺族会の活動を通して、アメリカとオーストラリアでは、軍隊の中にご遺骨の収容を専門に行う組織があり、最後の一兵まで戦死者を祖国に帰還させるという強い思いがある事を痛感した。

日本では未だに、海外における戦没者約240万人のご遺骨の半分も帰っていない現状がある。

東北新幹線とBRT視察

8月2日、自民党四国ブロック両院議員会の四国新幹線プロジェクトチームで岩手県などを視察した。

参加者は愛媛県村上誠一郎衆議院議員高知県からはプロジェクトチームの座長である山本有二衆議院議員と私、香川県の磯崎仁彦参議院議員

四国経済連合会の千葉昭会長、JR四国の半井真司社長、浜田恵造香川県知事、岩城孝章・高知県副知事、海野修司・徳島県副知事、樋口志朗・愛媛県参与、国土交通省総合政策局の池光崇政策課長などである。

他の参加者は函館で北海道の新幹線整備について調査の後で函館から新幹線で岩手県盛岡市へ来た。

私は仕事の都合で、12時36分東京駅発、15時54分盛岡駅着の新幹線で行き、17時からメトロポリタン盛岡ホテルで行われた意見交換会に参加した。

この意見交換会は、JR東日本の常務取締役の喜勢陽一総合企画本部長が、1、JR東日本の新幹線について

2、気仙沼線大船渡線のBRTによる復旧について説明を行い、質疑応答を行った。

私が注目したのはBRT(バス高速輸送システム)である。

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(写真は大船渡線盛駅、私の右側が線路を道路に直した専用線で後ろに見えているバスが専用バス)

これは、東北大震災の津波で線路を破壊された気仙沼線大船渡線の線路を撤去し、バス専用道路として運行しているものである。もちろん一般道も路線に入っている。

この地域は過疎化で人口減少が続く中で、津波被害によりそれに拍車がかかっており、線路を復旧しても乗客の確保が難しい現実があった。そこで、バス路線にして便数を増やし、かつ経費を削減する為にBRTに切り替えたとの事である。

(次の3枚の写真は陸前高田駅の様子、岩手県も暑かった。)

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私は昭和63年4月に高知県宿毛市へ帰ったが、高知県西部の鉄道は窪川駅から土佐中村駅までが第三セクター土佐くろしお鉄道の経営であった。

平成8年頃に中村から宿毛市へ線路が延びた。しかし乗客は年々減少し、私も時々乗るが、宿毛線の乗客は数人の時が多い。

経営は大赤字だが、それでも地元では鉄道存続の声は大きい。

くろしお鉄道の高架線路を眺めながら、ここをバス専用道路とする事は出来ないのだろうか、と漠然と思っていたが、東北ではそれが現実のものになっていた。

これは土佐くろしお鉄道で採用する必要があると思った。直ちに調査にかかろうと、山本有二議員、岩城副知事と話した。

臨時議会開会と高知県の要望活動

参議院選挙後初の臨時議会が召集された。

議長選挙が行われ、議長には山東昭子議員が。副議長には立憲民主党小川敏夫議員が当選した。

山東昭子議長は全会一致で、小川副議長は白票と無効票が一票ずつあったが、実質的には全会一致である。

令和新撰組のお二人の議員も初登院された。

午後3時から天皇陛下をお迎えして、令和が始まって初の国会の開会だ。

午後2時40分に議事堂前庭に天皇陛下をお出迎えしたが、暑いのなんの、倒れそうになった。

令和になって今上天皇が初登院されるとあって、議員席も傍聴席も立ち見が出た。

午後4時からは高知県市町村道整備促進協議会の国交省への要望活動に同行した。

(下の写真は池田道路局長への要望活動)

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(次は牧野国副大臣への要望活動)

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市町村道の改良率は全国平均59%、高知県は45.4%で全国ワースト4位である。

とりわけ、トンネル、橋梁の改良工事は、国道は進んでいるが、市町村道の整備は財政力の乏しい市町村にとっては荷が重いので進んでいない。壊れてから直す又は新設するよりも、予防的に整備する方が費用が少なくて済むことを強調してお願いした。

(防災・安全交付金で整備している、)

 

 

参議院自民党議員会長は関口昌一氏に決定

午前中の高知空港発の飛行機で上京、午後1時から参議院自民党の議員総会に出席した。

橋本聖子会長の3年任期が8月8日まで、先の会長選挙において立候補者が関口昌一氏1人しかいないことが報告され了承された。

関口昌一氏は竹下派の所属、参議院竹下派は無所属、他派閥の議員を加えて参議院平成研を作っており、石破派の舞立昇治議員(鳥取島根選挙区)と私は平成研に入会させていただいている。

幹事長始めの役員人事は会長一任で了承された。

昨夜、幹事長は最大派閥の細田派から選出されるであろうとの話を聞いた。

その後、地方区全国比例合わせて9名の新人議員が紹介された。

私の同期平成28年当選組は新人が16名いたので、ずいぶん少ない、現職の当選者が多かった。

午後3時から自民党本部で政務調査会の全体会議、来年度予算の編成方針について財務省から概要説明があったが、あまりに概要すぎて各部会長から失笑がもれた。

私は国防部会の山本会長の代理で出席していたが、発言要求はなかった。

何人かの部会長と一般出席者から意見が出た。

その中で、国土交通部会の伊藤忠彦部会長(愛知8区)は、各地で毎年豪雨災害が起きている、国土強靭化のためには今年から実施されている3年間で7兆円の予算は継続しなければならない、との発言には出席者から賛同の拍手が起きた。

夜は午後7時から赤坂見附の居酒屋で、高知県内の河川、海岸整備促進の陳情団(仁淀川物部川四万十川、直轄高知海岸)との懇親会に参加した。

(下の写真は本日午前中に私の議員会館事務所での撮影)

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岡崎誠也高知市長はじめ関係市町村長、議会議長、国会議員は中谷元石田祝稔広田一高野光二郎、私など五十数名の参加者があった。

残念!母校高知高校は甲子園ならず

私の母校高知高校は、1年生の森木投手が評判の選手で、10年ぶりの甲子園出場が期待されたが決勝戦で惜しくも明徳義塾高校に破れた。

試合は両校の選手とも素晴らしい動きで、素晴らしい試合内容であった。

母校の甲子園出場は次の機会に期待しよう。

ただ、この炎天下で午後1時から3時25分までの試合というのは拷問に近い。

私は昼に数十メートル離れた近所のコンビニに買い物に行ったが、それだけで頭がクラクラした。

全国各地で高校野球の予選が行われているが、甲子園は春と晩秋の二回にしたらどうだろうか。