一週間以上このブログを休んだことに気が付いた。

このブログをチェックしている人を何人か知っており、いつも励ましの言葉をいただく。
これだけ休むとその方たちから叱咤激励の声が飛んで来そうである。
前回の大阪・和歌山4日間の出張、出張が続くと朝昼晩と食事をしっかりとる、体重が増える。結果、ズボンが入らなくなった。体重は80キロを少しオーバー状態である。
減量のために、昼食を意識的に抜いた。そちらに意識が集中する。
以前は二週間減食すれば、胃が収縮して食事量が減るまで我慢できた。
今回はなかなかうまくいかない。
昨日からやっと楽にはなった。
11月1日は高知県戦没者追悼式、2日は高知県護国神社の秋季大祭、どちらも県議会議長として追悼の辞を読んだ。
戦没者のことを考える機会である。今は絶版となっているが高知県遺族会ニューギニア会の会報「南十字星」を編集していた窪川町の大川内憲作氏と知り合いになり、「南十字星」を三冊頂き、はじめて読んだ。
大川内氏は母上の弟さんがニューギニアで戦死されており、その関係でニューギニア戦記を調べ始めたという。昭和31年生まれで私より若いがよく調べている。
ニューギニア会の戦死者名簿があることも初めて知った。
大川内氏はそれを元にしてポートモレスビー攻略作戦を戦った南海支隊の戦死者名簿を独自に作っており、贈呈された。
宿毛市だけでも130名近くがニューギニアで戦死されている。
頂いた「南十字星」の中の一冊の表紙写真に宿毛市の方が写っており、二ノ宮の平井孝さんを早速訪ねた。
平井さんは元高校の先生で八十歳を越えているがいたってお元気である。叔父上がラバウルで戦死されており、平成13年にラバウルを慰霊巡拝に訪れた時の写真だという。
この頃のニューギニア慰霊団は、飛行機が週に一便しかなかった関係でニューギニアと隣のニューブリテン島ラバウルを訪れていたという。
平井さんは以前から存じ上げていたが、ニューギニア戦没者の関係者であることは始めて知り、また共通の遺族の方の話にもなり一時間以上話をした。
今日はこれから東京出張である。今月は東京3回、沖縄1回の県外出張があり、食事に気をつかう。