空手家 佐藤俊和師範のご逝去を悼む

昨日、極真空手の第8回全日本チャンピオンであった佐藤俊和師範が亡くなった事を知りました、70歳、まだまだ活躍していただきたかった。

f:id:nakanishi-satoshi:20180206215808j:image

上の写真は、昨年4月、私の空手の師匠であり、佐藤俊和師範の盟友である佐藤勝昭塾長が率いる、王道流空手道佐藤塾の祝賀会での佐藤俊和師範との記念写真です。

今年の4月には、佐藤塾の空手道大会でまた佐藤俊和師範と会えると楽しみにしておりました。

しかし、昨年6月に膵臓ガンがみつかり闘病されていたそうです。全く知りませんでした。

佐藤俊和師範とは、三十数年前に佐藤塾主催の空手道大会で親しくお話しできて以来のお付き合いでした。

それまでにも極真会館の空手道選手権大会で、鬼のような形相で戦う佐藤俊和師範の試合に感動し、尊敬しておりました。

その後、佐藤塾主催の空手道大会前後の懇親会で、酒を酌み交わしながら何度も楽しいお話を聞かせて頂きました、話上手で愉快な方でした。

十数年前、酒を酌み交わしていた時に「中西さん、宿毛へ行くよ」と言われ、半信半疑でいたところ、秋田県本荘市市議会議員になっていた俊和師範が、本荘市議会の委員会調査の名目で本当に宿毛市へやって来ました。

当時の私は宿毛市議会議員で空手道佐藤塾の高知支部長をやっており、私の空手道場の弟子達と楽しい宴をする事ができました。

その時に、「中西さん、俺はこれから松山市へ行って、芦原先輩の墓参りをしてくるよ。」と言った言葉が忘れられません。

芦原先輩とは、梶原一騎原作の漫画「空手バカ一代」で「喧嘩十段」と宣伝された芦原英幸師範の事です。

当時、芦原師範は極真会館を破門となり、愛媛県松山市芦原空手を設立、芦原会館の館長となっておりましたが、病気の為亡くなったばかりでした。

佐藤俊和師範は極真会館秋田支部の本荘道場長でした、本来なら交流してはいけなかったかもしれません。

しかし「芦原先輩は破門になったが、俺は本当に芦原先輩にお世話になったんだァ。」と話されました。義理堅い人でした。

また、私が参議院議員選挙に出馬した際には、佐藤塾主催の空手道大会に出席されていた俊和師範に私の弟子が名刺を配って選挙応援をお願いすると、秋田で配るからもっと名刺を寄越せと言って、選挙応援をしてくれたと聞きました。

市議会議員を何期か勤められた後、秋田県議会議員選挙に挑戦して破れ、数年後に再度、合併した由利本荘市市議会議員に復活当選され、通算7期市議会議員を務められたそうです。

f:id:nakanishi-satoshi:20180206220149j:image

上の写真は、前の写真と同じ祝賀会で乾杯の音頭をとられた佐藤俊和師範です、右端が私です。

まさか、こんなに早く俊和師範との別れが来るとは全く予想しておりませんでした。

今日、今年の年賀状に書かれてあった俊和師範の携帯電話に電話すると、娘さんがでられました。

自己紹介をした上で、国会日程のため告別式に参列出来ない事をお詫びしました。とてもしっかりした話をされる娘さんでした。

佐藤俊和師範のご冥福を心よりお祈り致します。