ブックカバーチャレンジ4、5、6日目一挙掲載

☆ブックカバーチャレンジ4日目は「秘録 東京裁判」、著者の清瀬一郎氏は憲法学者として著名な方で、東京裁判では日本人戦犯の弁護人を務めた。

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この本を読めば、日本が大東亜戦争に進まねばならなかった理由、そして、この東京裁判が、勝者によって敗者を裁く復讐劇であり、正当な裁判でなかった事がよく分かる。
また、この東京裁判の判事であったインドのパール博士も「日本無罪論」という素晴らしい本を書かれている。私は大学生の時に読んで感銘を受けました。

☆ブックカバーチャレンジ5日目は藤原正彦著「国家の品格」です。

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作家の新田次郎氏の息子であり、週刊新潮連載エッセー「管見妄語」は文庫本にもなっている。今「国家と教養」を読み返しているが、藤原正彦氏の本を読むと、日本人としての誇りを持てる素晴らしい本です。
また、昭和18年生まれの藤原正彦氏は、父・新田次郎氏の仕事で旧満洲に住んでいたが、戦後のどさくさで父が行方不明となり、母の藤原ていに連れられて、兄と妹の4人で満州から引き揚げて来るのだが、その壮絶な逃避行を、戦後母の藤原ていが記した「流れる星は生きている」(中公文庫)は大ベストセラーとなり、テレビドラマ化もされたそうだが、私はテレビドラマは見ていないが、この本も涙無くしては読めない本です。

☆ブックカバーチャレンジ6日目は「主権なき平和国家」伊勢崎賢治、布施祐仁共著、米国の占領が未だに続いている事を明らかにした本です。

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米海軍艦艇はいつでも日本の港湾を利用出来、日本政府は合理的な理由がない限り断わる事が出来ません。
また、米軍の航空機は日本領空に7箇所の訓練空域を設定し、日本政府に通告する事無く、いつでも訓練が出来ます。
四国にはオレンジルートが設定され、高知県が低空飛行訓練中止要求をしますが、全く無視です。この法律上はそれが出来ます。
自民党では以前この日米地位協定の見直しの勉強会を立ち上げましたが、上手く活動出来ませんでした。私は今後の課題であると認識しております。

 

ブックチャレンジ最終日

ブックチャレンジ7日目、最終日はユージン・B・スレッジ著「ペリリュー・沖縄戦記」です。

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パラオ諸島ペリリュー島の戦い(昭和19年、1944年9月15日〜11月27日)を、実際に従軍して海兵隊の一員として戦った米国軍人の目から見た戦記です。
島を守った日本軍は、第14師団・水戸歩兵第2連隊(中川州男大佐指揮)、歩兵第15連隊第3大隊など約11,000 人、
戦死 10,695人 捕虜(ほとんどが軍属)202 人、34名の兵士は昭和22年4月に投降した。
米軍は海兵隊、海軍、陸軍合わせて約5万人の兵力で攻めた。
ガダルカナル、マキン、タラワ、グァム、サイパン島嶼戦で連戦連勝を続けていた米国海兵隊であった。
3〜4日で落とすと豪語した米国海兵隊第1海兵師団のリュバータス師団長は、最初の一週間で死傷者が3946人にのぼった。1個連隊が戦闘能力を失い、残る2個連隊の戦力も激減して、9月21日、第一海兵連隊は兵員も約3,000名の連隊の定員の内1,749名が死傷しており全滅判定を受けた。
第1海兵連隊はアメリカ軍史上最も激しい損害を受けた連隊となっていた。
第1海兵師団も陸軍第82師団に交代させられた。
最終的な損害は総計6,526人(戦死者1,252人、負傷者5,274人)

【追記】

米軍全体の戦傷者は、戦死 2,336人、戦傷 8,450人、合計 10,786人、他に2千人以上の戦病者(戦争神経症)が出たとの情報がある。
リュバータス師団長は解任され、数ヶ月後に米国で亡くなった。
作戦の総指揮を取った第3水陸両用軍団長のロイ・S・ガイガー少将は、ペリリュー島の戦いこそ太平洋戦争全体の中で最大の激戦だったと再三再四述べている。
また、ニミッツ元帥は「太平洋海戦史」の中で「難攻不落の激戦場と最初に断定しているのは、ペリリュー島攻防戦だけである。」
この戦いは、今でも米国海兵隊にとって屈辱の歴史と認識されているそうである。
私は、このペリリュー島の戦い、硫黄島、沖縄の戦いが、戦後、米国が日本国憲法第9条を作った要因だと考えております。
「最後の一兵まで戦う日本民族に、二度と再び軍隊を持たせてはならない」米国の軍人も政治家もそう考えたと思っております。
ブックチャレンジのバトンは、私の友人であり、保守の理論家である、亜細亜大学法学部講師の菅谷幸浩さんにお願いしております。

横田滋さんのご逝去の報を聞き

北朝鮮拉致被害者家族会の横田滋さんが亡くなったとの報道を聞き、心よりご冥福をお祈りします。
もう17年ほど前であったか、知り合いの山口県議から、山口県岩国市で横田ご夫妻の講演会があるとの知らせを受けて、出向いた。
滋さんの話は訥々として感動したが、横田早紀江さんの、めぐみさんに対する思いをお聞きして胸を打たれた。講演後お二人にご挨拶する事もできた。
その前後に高知県議会自民党でも、私が呼びかけて北朝鮮拉致被害者家族会を支援する会を作って、私が事務局長をやっていた。
その後、2回目の小泉訪朝(2004年)で成果が出せなかった事を、家族会が批判した事を巡って、私はやる気を無くして県議会の支援する会も活動停止した。
私はその後、拉致問題が前進しない事に対する政治家の無力を感じ、青色のバッチを付ける事をやめた。
今でも、拉致被害者が帰国出来ない事に関して、家族会の皆様には申し訳ないと思うし、無力感に苛まれています。

地震頻発、ブックカバーチャレンジ3日目

今朝5時半頃にも茨城県東部を震源地とする震度4の地震があった。

日本全国でこの規模の地震が頻発している。特に関東地方は多い、大地震に備える必要があると思う。

「ブックチャレンジ第3弾は百田尚樹さんの「永遠のゼロ」主人公の若者が、零戦で特攻攻撃を行なって戦死した祖父がいた事を知り、その祖父の戦いを検証する物語である。

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前回の大川周明先生の本は明治維新までですが、この本は零戦パイロットの戦いを通して大東亜戦争の歴史がよくわかります。
また、零戦昭和15年に実戦配備されますが、当時の、米国のグラマンF4F戦闘機、イギリスのスピットファイア戦闘機、ドイツのメッサーシュミットBf109戦闘機と比べても、格段に優れた戦闘機でありました。
しかし、その零戦を試験飛行のために名古屋の三菱の工場から飛行場へ運ぶのは、馬車と人力、なんともちぐはぐな日本の工業力です。
また、この本は映画化もされ大ヒットしました。
CGで作られた空戦シーンが素晴らしい出来栄えでした。
私もハンカチがぐしゃぐしゃになるほど滂沱の涙を流しながら映画を見ました。
私の学生時代の仲間も同じ事を言ってました。」

この投稿、多くの友人が同じ思いで映画を見たと返事をいただきました。

ブックカバーチャレンジ2日目

ブックカバーチャレンジ2日目、大川周明先生の歴史書です。

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戦後GHQは徹底した日本弱体化政策を実行し、今もその効果は絶大です。戦後生まれの日本人は、祖国日本の真実の歴史を全く教えられてきませんでした。
最近読んだ本に、所得倍増計画を掲げて日本の復興に大きく寄与した池田勇人内閣で、経済政策の理論的中心になった元大蔵官僚の下村治氏が、「戦後の日米交渉においてアメリカの貿易不均衡は、アメリカ自身がまいた種にであるにもかかわらず、日本では政府関係者も経済学者も、その点には口を閉し、むしろ日本が悪いという態度をとり続けていることに関し、終戦直後の日本は、GHQによる日本弱体化政策に自覚なしに協力して自分自身を武装解除し、あえて自らを弱体化したのである。・・・占領期の日本弱体化政策の後遺症がいまだに残っている。この日本の弱腰の背景には、国防をアメリカに依存している後ろめたさも関係している。」と指摘している記述がありました。
私は、日米構造協議からTPP、日米貿易協定に至るまでアメリカに一方的にやられているのは同じ理由があると思ってます。
これが正当な日本の歴史書です。

政府開発援助(ODA)等に関する特別委員会で意見発表

6月1日(月)午後1時から、参議院政府開発援助(ODA)等に関する特別委員会が開かれ、東南アジア、アフリカ等に派遣された4つの班の派遣報告会が開かれた。

私は第2班で、有村治子参議院議員班長ブータンとタイを訪問し、ODA援助の実態やJICA、青年海外協力隊の皆さんの活動を視察してきた。それは1月にブログに書きました。

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始めに、各班の班長が、派遣報告、後は自由質疑だが前もって指名された議員が大会派順に1人ずつ質疑を行い、その後、残されたわずかな時間で私が質疑を行った。

私の報告内容は、私は派遣される直前のニュースで、日本のODA援助が、現地とミスマッチがあるのではないか、との報道を目にしていた。というのは、機械の支援を行ったものの、その支援した機械が故障した後は、修理技術を持たない為に、全く使われていないとの報道であった。

したがって、問題意識を持ってブータンを訪問した。

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ブータンは山岳地帯で平地が少なく、ほとんどが日本の棚田や段々畑である。

従って大型機械が使えず、農業機械化支援では耕運機が支援されており、現在累計で3700台以上が送られた。

送られたトラクターにはエンジンカバーの横、目立つ所に日の丸と、日本からODAで送られた旨の記述のあるステッカーが貼ってあった。

またブータン人を筑波にある研修センターに派遣し、トラクターの修理技術を学ばせた。

修理技術を身につけた彼らが帰国し、日本から送られた工作機械のある工場で、トラクターの修理を行っている。そして、トラクターの後に付ける、消耗品である鋤などを制作している。

また、耕運機の部品供給部門も整備されて、注文があればすぐに供給出来る体制が整っていた。

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今後はこのブータンの成功事例を参考にしてODA援助をしていただきたいと要望した。

鈴木けいすけ副大臣からは「先生の意見を参考にして実施していきます。」との答弁があった。

 

ブックカバーチャレンジに参加

フェイスブックにこういう事を始めた人がいて、おそらく出版業界の関係者が始めたのではないかと推測しますが、良い試みなので参加しました。以下が投稿文です。

大石宗高知県議からブックカバーチャレンジのバトンを受けた中西哲です。
1冊目は元日本海軍参謀であった奥宮正武(高知県室戸市出身)氏と、真珠湾攻撃日本海軍航空部隊指揮官であった淵田美津雄氏との共著である「機動部隊」を推薦します。
日本海軍の現場で指導者として大東亜戦争を戦った2人が、日本海軍機動部隊の戦いを通して、なぜ日本が負けたのか、日本民族の本質を考えながら、昭和26年、敗戦後6年という記憶も薄れていない時期に書かれた反省の書です。
この本を読むと、産業力では米国の数十分の一であった当時の日本が、真珠湾攻撃以来開戦後一年近くは、米国に勝る戦いをした事が書かれております。

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戦後の教育を受けた我々には全く教えられていない歴史の事実です。
私は何度も読み返し、今はある衆議院議員に貸しております。
同時期にお二人で「ミッドウェー」も書かれております、こちらも是非お薦めします。
写真は学研M文庫で、絶版となってますが、学研以外からも刊行されているようです。インターネットで買えると思います。