日系部隊442


29日(金)、30日(土)の二日間、大石宗県議とその仲間が映画「442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」という映画を自主上映したので見に行った。
場所は高知市立自由民権記念館ホール、彼らはここを借りて何度か自主上映をやっているそうだ。
この映画は日本人のすずきじゅんいち監督が作った映画である。
パンフレットに「アメリカ陸軍第442連隊は第二次大戦当時に日系二世で編成された部隊、アメリカ陸軍史上最も多くの勲章を受けた部隊として、歴史に燦然と輝く。本作は父母の祖国・日本と戦う苦悩を抱えながら、アメリカの中で人種差別と戦い、ヨーロッパ戦線ではファシズムと戦った伝説の兵士たちのドキュメンタリー。終戦後、トルーマン大統領は『諸君は敵だけでなく偏見とも戦い、勝ったのだ』と最大級の賛辞を送り、自ら生還者を激励した。」と書かれている、これがすべてであろう。
日米間の戦争が始まった当時、日系部隊にはハワイで編成された第100大隊があったが、日本軍の真珠湾攻撃によって、強制除隊された日系人が多かったという、しかし、そのままでは部隊が維持できないので再度編成し直されたそうだ。
真珠湾攻撃の後、アメリカ西海岸に住む約12万人の日系人は、全米10箇所の強制収容所へ入れられた。
その強制収用所の中から志願して米陸軍に入隊し、ヨーロッパ戦線を中心にして勇猛果敢に戦った人達の部隊が442連隊であり、第100大隊である。
この経緯は山崎豊子氏の「二つの祖国」に詳しく描かれている。
今回の映画は、生き残った将兵の証言記録であり、中には家族と一緒に出演し、子供達が、この話は始めて聞いたという場面が多かった。それだけ、戦後彼らは家族にも戦争のことを語っていなかった。
その行動原理は、家族のために恥をさらさないということである。
そして、勇猛果敢に戦ったが故に戦死者の数も飛びぬけて多い。
映画ではイタリアの首都ローマ攻略に貢献した442部隊であったが、日系部隊に対する差別のためローマへ凱旋することが許されず、ローマへ入る手前で待機させられ、結局ローマを迂回して北の戦線へ向かわされた事実を、元兵士が涙を流しながら語った話が紹介された。
また、フランスの町ブリエラをドイツ軍による長い占領から開放する話があり、ここを訪れた生残りの老兵士が大歓迎される場面が出てくる。
さらに、フランス南部で米陸軍テキサス大隊を救出する話も出てくる。
いずれの戦闘も、何度か米軍の他の部隊が攻撃したが攻略できず、日系部隊が多くの犠牲のもとに攻略した。
とりわけ、テキサス大隊救出作戦は211名の将兵を救出するために、442連隊はその数をはるかに上回る約800名の死傷者を出して完遂された。
私がもう三十年近く前、ロサンゼルスに住む大学時代の親友を訪ねた際、友人は仕事でテキサスを訪れた際に地元の人にこの話を聞かされ、日本人に対する親日感情が強いことに驚いたという。
また、ナチスドイツのユダヤ人虐待のダッハウ収容所を開放したのも442連隊であることは初めて知ったし、これまであまり公表されなかった事実だそうだ。
日本人の矜持と恥を知ることを最も強く意識しながら、祖国アメリカのために戦った日系部隊の将兵の記録・証言を多くの日本の若者に見せたいと思った。
また、恥を知らない菅首相にも見せてやりたい。