沖縄視察平成27年1月

沖縄の現状を調査するため同僚県議3名とともに沖縄を訪れている。
21日(水)午前11時時40分高松空港発の飛行機で午後13時45分沖縄那覇空港着の予定が、出発が遅れ14時15分那覇空港着。
空港には自民党沖縄県連の職員が出迎えてくれた。
沖縄県連で照屋幹事長、翁長副会長、座喜味政調会長が待っていてくれた。
沖縄県連訪問に際しては、中谷元衆議院議員が、政権与党に復帰して以来沖縄県の政治に大きく関与していたので中谷事務所から予約を入れていただいた。
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(写真、私の右隣が照屋幹事長。左端が座喜味政調会長、その右が翁長副会長)
3人の県会議員さんから先の県知事選挙、そして衆議院選挙の状況を聞いたが、冒頭、3人の県議さんから、中谷元先生には沖縄県政の事で大変お世話になっておりますとのお礼の言葉を頂いた。
沖縄県では2012年の衆議院選挙では4つの小選挙区のうち、3選挙区で勝利したが、今回は小選挙区ではすべて敗れ、しかしすべての選挙区で比例復活を果たした。
先に行われた、県知事選挙において翁長雄志知事が誕生したことが大きく影響している。
翁長新知事は元自民党沖縄県連幹事長、那覇市長を3期務めた時も、3年ほど前までは自民党と仲良くやって来た。その時までは普天間基地辺野古移設にも賛成であった。
すべては民主党が政権を取り、鳩山首相最低でも県外移設と主張し始めてから混乱した。
元々、辺野古移設賛成派もやむなく賛成派が多数であった。そこへ、あのバカ首相が何の計画も無く「県外移設」と発言したもので一挙に県内の状況が変わった。
それでも、2012年の衆議院選挙では自民党が勝利した、あまりに民主党がひどすぎたためだ。
それも今回の衆議院選挙では、県知事選挙の影響を受けて無党派層の女性票が一挙に反自民に流れたと分析していた。
1時間余りの意見交換のすべてを記すことは出来ない。沖縄県議会では47名中自民党県議は13名で、最大会派ではあるが、唯一の野党であり、2年後の県議会議員選挙が心配だとのお話であった。
22日(木)は午前9時ホテル発、ジャンボタクシーをレンタルした。始めに最南端の八重瀬町にある高知県戦没者の慰霊碑「土佐の塔」を参拝、ここは沖縄戦で戦死された高知県出身者832柱と南方戦線で戦死された17,713柱をお祭りする慰霊碑で昭和41年に建立された。毎年11月には高知県主催で戦没者慰霊祭を行っているが、地元の教育委員会、中学生、小学生が沢山参列してくれる。
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摩文仁へ移動して沖縄県平和祈念資料館を見学、
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黎明の塔、日本陸軍牛島司令官、長参謀長が自決された壕を参拝、ひめゆり部隊の壕、記念館を視察。
そして、嘉数台から普天間基地の視察、嘉手納の道の駅から米空軍嘉手納基地を視察した。
タクシーの運転手兼ガイドの与那嶺さんが、沖縄の戦史に非常に詳しく説明してくれた。
何度も沖縄に来ている私以外の3人、とりわけ初めて沖縄に来た西内健、加藤漠県議は大変感動していた。沖縄に来て初めて反戦思想の多い理由が分かった。大東亜戦争において、いかに沖縄県民が犠牲になったのかがよく分かったと話していた。
これは、現地に来て、現地の人達の生の声を聞かなければ分からない事だ。
今日は小禄の海軍司令部壕跡と自衛隊を訪れる。