佐渡島視察2日目

8:50 曽我ひとみさんと面談

曽我さんは普段はあまり話さない方だそうですが、この日は議員の質問に積極的に答えてました。

拉致家族にお会いして話を聞くのは何年振りかになる。

横田めぐみさんのご両親にお会いした事が、県会議員時代に2度ある。お話を聞くと胸が痛くなる。

今は直接北朝鮮と交渉する政府に物申す立場にある。申し訳ない気持ちがより一層強い。

次に西三川砂金山を視察した。

ここは平安時代後期に砂金がとれていた。

下の写真はパンフレットの佐渡島の地図だが、昨日訪れた相川地区は北の部分の左端にあたるが、西三川地区は南の部分の左側中央部になる。

真ん中の部分は平野で、米作りが盛んです。

現在、フェリーやジェットフォイル船が着くのはくびれの右側の両津湊で、226事件で刑死した北一輝はここの造酒屋の息子さんです。

ちなみに、北前船などで栄えた元々の港町は下の左端の小木港である。

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ここの虎丸山(二つ下の写真の山)を切り崩して、水を引き入れて流し、底へ残った砂金を取っていた。

江戸時代に30戸ほどの集落があったようで、現在でも27戸の集落がある。下の写真は中心部の神社、能舞台がある、豊かであったことが分かる。

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上の写真の民家の向こう側に三川分校という小学校があり、ここが簡単な資料館と休憩所になっている。ここに面白い伝承話が展示してあった。

江戸時代の事だろう、三川地区から売りに来るネギの土に砂金が着いており、それに気付いた人が、三川地区の土地を買いに来た。

初めは売ろうとした三川地区の住民は、砂金に気付いて売らなくなった、という話、そしてもう一つは、砂金取りの人が履くワラジに砂金が付いている事に気付いた宿の女中が、その草鞋を買って大儲けした話が書いてあった。

真偽の程は分からない伝承話だそうだ。

お昼は海鮮丼の店「長浜荘」、私はこういう写真を載せる事は稀ですが、この海鮮丼はインスタグラムで拡散して評判になったそうです。

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次に、時間が余ったので、渡辺市長の提案で急遽訪れたのが日蓮宗妙泉寺、阿仏房日得上人により弘安2年(1279年)に創建されたお寺だ。

日蓮佐渡に滞在した時に教えを受けたのが阿仏房日得上人だそうだ。

佐渡三本山の一つで、日光東照宮のものを模したといわれる県内唯一の五重塔がある。

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見事な五重塔でした。

下の写真の左側が本堂、右の茅葺き屋根の建物は、お守りなどを売っていたが、物凄く大きなハリがあったし、茅葺き屋根を遣り替えると4200万円かかると話されていた。
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ここは拝観料を取っているわけではない、広い庭の管理も含めて、お寺さんだけで運営しているそうだ。

拝観料替わりに水晶の腕輪を買った。