ロシアのウクライナ全面侵攻から2年

2年前の2022年2月24日、ロシアによるウクライナ全面侵攻が始まった。

しかし、その8年前にロシアはウクライナクリミア半島に侵攻し、同時に東部のドンバス2州で戦争が始まっていた。

それ以来ウクライナとロシアの戦争は続いているので10年戦争です。

私は参議院議員になって以来、参議院外交防衛委員会の委員になり、1年後には外防委員会の理事になった。(21名の委員の中で理事は5名)

国会開会中は外交防衛委員会は週に二回開かれるので、理事になると外務省、防衛省の職員が頻繁に議員会館事務所に説明に来る。

私は彼らに対し、プーチンの思考はヒトラーに似ている。マスコミ報道で言われているロシア帝国の復活だけではない。それ以上の事をやると思う、と言い続けてきた。

ヒトラーは1939年9月、ポーランド侵攻によって第二次世界大戦を起こした。

しかし、その3年前の1936年3月、第一次世界大戦以来、初めはフランス領、のちに非武装地帯になったドイツとフランスとの国境にあるラインラントへ武力進駐した。

その理由はラインラントの住民は圧倒的にドイツ人が多く、ここはドイツ領土だという主張だった。

しかし、この当時ナチスドイツに対して圧倒的な軍事力を持っていたフランスもイギリスも全く動かなかった。

後にイギリス首相になるチャーチルは、この当時閣外にいたが、ヒトラーの武力進駐に対して軍事行動で排除すべきだと主張したが、時のスタンリー・ボールドウィン政権は全く動かないばかりではなく、イギリスもフランスも軍事費削減政策をとっていた。

これがヒトラーに対して誤ったメッセージを送ったと、戦後書いた「第二次世界大戦」という著書の中で述べている。

しかも同書によると、戦後押収したナチスドイツの機密文書によると、ナチスドイツの軍幹部は、ライララント進駐に全員反対したそうである。

ヒトラーが単独で反対論を押し切って成功した。

この成功によってヒトラーは3年後にポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まった。

プーチンによるクリミア半島侵略の半年前、2013年9月、シリア内戦において武力行動を起こすかどうか問われた米国のオバマ大統領は、「アメリカは世界の警察官ではない」と発言し、シリアに対する武力攻撃は行わなかった。

この発言の半年後、ウクライナにおけるマイダン革命という事情もあるが、プーチンクリミア半島に武力侵攻し、ほとんど抵抗も受けずに成功した。

また、中国は南シナ海制海権を確保する為、岩礁を埋め立てて基地を作る動きを加速した。

プーチンは2000年に大統領に就任して以来、ドイツ、イタリア、ポーランドなどのNATO主要国に対して、天然ガス、石油などの供給体制を整備し、NATO諸国のエネルギー政策の急所を握る政策を進めた。

私は、これらのNATO諸国に対するプーチンの陰謀が成功した事により、彼は全面的なウクライナ侵攻を行ってもNATO諸国は動かないと判断したのではないかと考えている。

2年前のウクライナ全面侵攻が始まった時、私は1週間以内に首都キーウは落ちると思ったし、世界中の政治家もそう思ったようだ。

ところが、これだけロシア軍が弱いとは思っていなかった。

軍事力において圧倒的な差のあるロシア軍がこれだけ武力も兵士の士気も衰えていたとは。

民間軍事会社の経営者であるプリゴジンの反乱でも、軍部は静観したし、彼の私設軍隊と釈放されて組み込まれた犯罪者達は、ロシア正規軍より強かった。

しかし、このプーチンウクライナ侵攻で、私達日本人が肝に銘じておくべき事が二つあると思う。

一つは、プーチンに核攻撃をするぞと脅された米国のバイデン大統領は、この恫喝に怯んで何もできなかった。米国の核の傘があてになるのか。

国連の安全保障理事会が全く何の役にも立たなかったことは予想通り。

二つ目は、ロシア軍の攻撃は民間のアパートや民家を徹底的に破壊し尽くし、民間人の虐殺を平然と行う軍隊であるという事です。

1945年8月9日、多数の日本人が住んでいた旧満州地域に、日ソ中立条約を一方的に破って武力侵攻したソ連軍は、日本人に対して虐殺の限りを尽くし、60数万の日本人をシベリアなどに抑留した。

全く変わっていない。