人の評価

最近、後援会活動が忙しく、読書の時間が少なくなっているが久ぶりに面白い本を読んだ。
それは、元日本経済新聞記者の牧久氏の書いた「特務機関長 許斐氏利」という本である。
許斐氏利(このみ うじとし)氏(1912年〜1980年)については、戦前上海で暗躍した許斐機関と呼ばれた特務機関長であり、戦後はトルコ風呂のはしりである東京温泉を作ったということが書いてある本を読んだことがあったが、許斐氏が良く書かれていたわけではないので、大陸浪人の一人か、程度の認識しかなかった。
ところが、牧久氏は昭和28年に「夕刊フクニチ」に連載された「昭和龍虎伝」という連載記事を見つけ出し、それを元に許斐氏利氏の一生を丹念に調べ上げている。
夕刊フクニチ」は西日本新聞から分離独立した夕刊紙で平成4年に廃刊となっているが、書いたのは高松昇という記者である。
取材後、許斐氏に惚れ込んだのか東京温泉に転職している。
特務機関とは戦前、軍部が直接行えない仕事を民間人を雇って軍人の指揮の下でスパイ活動や物資調達を行った組織である。
戦後、右翼の大物と呼ばれロッキード事件に関連した児玉誉士夫氏は中国大陸で、海軍の大西瀧次郎中将の下で飛行機の部品関係の物資を集めており、戦争直後の混乱期に中国より金やダイヤモンドを持ち帰り、その一部が鳩山一郎に渡り、保守合同資金に使われて自民党が成立したことは有名である。
そして、この本にはその児玉氏の片腕と呼ばれ、実務を取り仕切った児玉機関の副機関長・吉田彦太郎氏も許斐氏の友人として登場する。
許斐氏は陸軍の軍人でクーデタ未遂事件である十月事件や三月事件の中心となり、昭和20年6月、沖縄戦で陸軍第32軍参謀長として自決を遂げた長勇陸軍中将の下で特務機関長をやっていたことが書かれている。
私にとっては、昭和初期の満州馬賊の活躍や昭和10年代の上海におけるスパイや秘密結社が入り混じってのテロ戦争は、いくつかの本を血わき肉躍る思いで読んだ。
日本人馬賊で、中国名は小白竜、尚旭東などいくつかの変名を持っていた小日向白郎、「夕日と拳銃」のモデル伊達順之助などは特に有名である。
この本には、許斐氏が伊達順之助の下で銃と馬の扱いを教わり、匪賊相手の戦闘を経験したことが書かれている。
また、昭和13年と昭和15年の上海で、テロが激しくなった時期に許斐氏がそれに参加していたらしいとの推測記事があるが、このテロ戦争について、小日向白郎は自らの自伝である「馬賊戦記」(朽木寒三著)の中で何人もの相手を殺したことを話しているが、牧氏はそのことには触れていない。
この本で牧氏は、許斐氏の一生を好意をもって書いている、私は許斐氏についてほとんど知らないでいたが、見方によって人の評価はこうも変わるのかと考えさせられた。
また、牧氏はこの本の「あとがき」で「昭和前期という時代。その時代、日本で何が起こったのか。日本国民は何を考えていたのか。学校の歴史教育ではほとんど教わることはない。古代から始まる『日本史』は、明治維新からせいぜい日露戦争あたりで『時間切れ』となる。・・・・許斐氏利という男の軌跡を辿ってみて、たかだか七、八〇年しか経過していない昭和前期という時代をこれほど知らなかったのか、と我ながら驚いた。」書いている。
この本には、大正から昭和初期にかけて、特務機関の一員として中国大陸で中国人になりきって死んでいった日本人達の話が出てくる。
彼らは、未だに何人いたかさえ判明しておらず、靖国神社に祭られている訳でもない。
私は大学時代に、彼らが日本国のために喜んで死んでいった事実を、彼らに応援を求めた日本陸軍支那派遣軍の元参謀から直接聞いたことがある。
牧氏は昭和16年生まれ、私より10歳年上である。私も大学時代に日本学生同盟という明治維新から昭和初期の歴史にとりわけ興味を持つ仲間達に出会わなければ、この時代の歴史に興味を持たなかったかも知れない。
このブログを読まれている方達も昭和前期の歴史を知らない方が多いのではないかと推測する、この本はその歴史の流れも書かれてあるので是非一読をお勧めする。
もう一つ、最近、工藤美代子氏の書いた「悪名の棺 笹川良一伝」を読み、笹川良一氏に対する見方も変わった。
笹川氏は私が大学生時代には日本モーターボート競争協会会長、日本船舶振興会会長、国際勝共連合会長など、決して良いイメージはなかったし、笹川氏について漏れてくる話は「悪の親玉」という類の話ばかりであった。
また、私の知り合いで笹川氏の配下にいた人の秘書役をやっていた者もいた。彼からも良い話は聞いていなかった。
工藤氏のこの本を読むと、これまたイメージが変わってくる。
世間に流れる噂話は、真偽とりまぜて、いかにあてにならないかということを改めて知った。